小1(6才)の子どもの上の前歯がかなりぐらぐらしている。かれこれひと月くらいはそうしていて、これがまたなかなかとれない。
早い子なら年中さん(4~5才)から抜け替わっているんだけど、うち子どもの発育は他と比較するとだいぶゆるやかである。
実はこれはある程度画策してやっていることで、たまたまそうなったわけではない。
整体法では早く育つこと、いわゆる早熟を警戒する。
「早く育って何が悪いか」という反論もあるかもしれないが、この場合何をもって良しとするかは個人の主観に委ねられる話で絶対的な是非善悪はないと思っている。
子どもをどう育てたいか、どうしたいか、というのは親の価値観に拠るもので、生物の適応力を活用すれば、早く「人間」にしようとすればできない話でない。
ハイハイしてれば早く立たせようとする、アーアーといっていれば早く話せるようにする、字も早く訓練して覚えさせて、足し算引き算でもやらせようと思えば幼稚園からできるのだから。
しかし整体法においては急づくりになるよりも、着実に、適切な期間を要して成熟していくことをよしとする。
乳歯に関して言えば、乳児期に十分栄養が満ちていればそれほど早く生えてくる必要がない。咀嚼の必要がないからである。
そのために生後2、3ヶ月くらいから赤ん坊の要求に応じて離乳食を施す。柔らかくて、体に適した、栄養に満ちたものをあたえていれば自然、そうなっていくのだ。
乳歯がおそければ、当然永久歯もおそい。「おそい」いうのも比較によって生じる表現なので、より正確に言えば「その子」の「その時」に生えてくるわけだが。
「なんだそんなことが整体なのか」と思う人は無論こんな面倒なことはやらなくていい。
しかし人間の人間たるゆえんは知恵を働かせて上質な文明を形成し、他の動植物よりも緩やかに育つ点にある。
馬とか鹿なら生まれたと同時に立とうとし、その日のうちに走れるようにならなければ生存できない。
その点人間は違う。周囲の大人たちからさまざまな保護を受けて高い生存率を保有しているために、生後1年以上も安心して寝ていられるのである。
そうしてこの期間に充分要求を満たされ、保護され安心して育った子どもには独特の雰囲気がある。外界に対する漠とした不安や恐れが感じられない。
根拠のない自信、とか余裕と呼ばれるものもここから生じるのではないだろうか。
具体的に言えば「人見知り」ということが生じにくい。そして初めての場に行ってもさっと不安なく相手の中に入っていける。
だから核心となるのはそういった点で、歯の生える時期というのは副次的についてくる現象と思った方がいいのかもしれない。
そうやって出てきた歯がどの程度丈夫なのか、という点はもう少しを観察を要するけれども、現時点で虫歯その他のトラブルはない。その点順当にきているといえそうだ。
真に見るべきは発育の遅速ではなく、常に相手の要求から出発するという生命主体の世界を築こうという心の態度にある。
こういった着眼は他の育児書ではあまり見かけたことはないので、これも整体独自の知恵の一つなのかなと思う。