ひと月ほど前からエレンベルガーの『無意識の発見』を読んでいる。
本の概要を簡単にいえば、心理学及び精神医学の原点を祈祷や祈りといった原初的なシャーマニズムのレベルまでさかのぼり、その実態をあきらかにしようと試みた良書である。
またフロイト以降に排出される個性豊かな治療者たちのパーソナリティや個人的体験を通じて、様々に枝分かれしていった精神医学の各学派を冷静かつ公正な目で人間の心や精神に迫まろうとした大著と言っていいだろう。
そうした古今東西の精神療法がおよぼす身体への影響とその後の人格の変化、さらには人生全般の創造性にまで目を向けて考察していくのだ。
この本を手にして自分の頭に最初に浮かんだ言葉は「ああ、これでやっと〈野口整体〉から離れられる」だった。
わざわざ〈〉カッコ付になっているのは概念としての〈野口整体〉のことを指すためで、無形のものとしての「ソレ」はもはや離れたり辞めたりできるようなものではなく、もはや自分の血肉となって埋め込まれている。
また、「離れる」ということと「辞める」ということまた違う意味である。
これまでは「整体法を主体的に実践する」ということに偏っていたけれども、では一体これがどのようなものなのか、ということをもう少し巨視的な目でその個性や特徴、現代における存在価値等々を客観的に明らかにするためには一旦「離れ」なければならない。
そういう意味で自分と整体との間に距離を作ってくれる本になってくれそうだ。
上下巻合わせて900頁を超えるので、なかなかのボリュームである。
全部読み終わってから感想を、となると中々とんでもないことになりそうなので読みながら「これは」と思うことに出会ったら小出しに所感を述べてみたい。
すでに序章、第一章の段階でいろいろ思うところあるので、近々文章化できるかと思う。