インフルエンザがかまびすしい。
自分が子どもの頃(昭和60年代)はまだこれほど世間がインフルエンザに対して過敏ではなかったと思う。いつの間にやらこうなってしまった。
たしか7、8年は前だったか、「インフルエンザが流行る」というだけで予防接種を主体として1億円の利権が生じるのだ、という内容の動画を観た。
どこかの団体が抗議を目的として集まっていたのだが、いま探してもその動画は見つからないので消されてしまったのかもしれない。真偽は確かめていないけれども、どことなく信憑性を匂わせる。
日本の報道機関も慣例にならってこの季節はインフルエンザの報道でもやっておこうか、といった所なのかもしれない。
それ以前に日本人が病気に対してずいぶん過敏になった気がする。
冷静になって症状に目を向ければ解るが、「インフルエンザは普通の風邪ではない」「高熱が出る」「是非とも予防接種が必要である」というのは少々いきすぎだろう。
「インフルエンザも風邪の一種ですよ」という医師もいるし、いわゆる「ふつうの風邪」でも本人にエネルギーが余っていれば39度を越す熱だって出るものだ。
そもそもウィルスや細菌というのはどこでも飛んでいる。マスクをしたとか手を洗ったからといって無菌になるなどありえない。
人間の行くところ何所へ行ったってウィルスや菌だらけなのだ。
それが朝夕満員電車に乗ってもほとんどの場合ウィルス性の感染症にならないのは、「身体にその必要性がないから」である。
人間は身体に「ある条件」がそろうと発熱の必要性が生じる。身体各部の偏った疲労を解消するために「熱」が必要なのである。
それは言うなれば天然の温泉、自家製の湯治みたいなものだ。
そういう「疲労の偏り」がなければどんな病気だって必要はないし、そういう「病気の必要がない状態」が健康かというとそうでもないのである。
必要なときに必要な病気にかかり、順当な期間を要して経過することが自然の健康を乱さないためのコツだ。
それはそうとインフルエンザに限らず特定の病気をこわがりすぎるのも、その病気にかかる要因になる。身体が意思とは逆の空想に引っ張られるからなのだが、これについてはまた改めて書こう。