9月13日活元会後記 体の波について

9月13日活元会を行いました。

事前のふれこみでは坐禅・活元会だったのですが、わたしが前半しゃべりすぎたために坐禅の時間はなくなりました‥。

教材は野口晴哉先生の講義録より「体の波」を選んで音読をして、みさなんに聞いていただきました。

整体法(野口整体)というのは実践哲学です。

なので、実践と並行して知的理解の両輪が必要である、というのが当院なりのスタンスです。

「両輪」ですから‥

左右の車輪のどちらかが大きかったり小さかったり、回転数がちがったりすれば、それでもうクルマはまっすぐ走れなくなります。

だから頭で理解するばっかりでもなく、理解したら必ず実践をする。

実践をある程度かさねたら、何のために、あるいはどういうことかを考える。

こういうことを行ったり来たり繰り返しながら、整体法をみなさんが体得していかれるようにと一応は考えています。

ちょっと話が横にずれましたが今回は「体の波」です。

人間には「波」があります。

これは科学的な検査でとらえにくい人間の生理機能といってよいと思います。

もちろん心電図や脳波計などではかろうじて「波」的なものがとらえられますが、レントゲンとか血液検査では完全にそういう時間軸はとらえられません。

そういう「点でとらえた」情報だけで、「生きた人間」がまるごと解るかといったらそれはおそらく不可能でしょう。

だから「生きて動いて絶えず変化する人間」をそのままとらえて、その波の低調高調を見極め、そのうえで波の間に間にポンポンとリズムや言葉や身体的な刺激を叩き込んで勢いを呼び起していく。

これが整体法の原理原則です。

しかしこれは決して「整体指導」という非・日常の特殊な空間だけにいえる話ではないと思います。子どもの躾のような家族間のコミュニケーション、家族以外でも人と人が心を通わせるためにはこういう生理的な波のあることを知り、その波の使い方を覚えていくことは大変有効です。

どうしたらそういうことが可能になるのか、といえばそれは自分の心身を通じて波のあることを勉強し理解していくことが一番の近道です。

心・体の微細な動きをよくとらえられるように敏感さを保ち、育てていくように、丁寧に生活をしていくことでそれは可能となります。

活元運動をこつこつやっていく、ということが王道ですが根底にあるのは自分自身の「たましい」とかその器である身体に対する礼、そして畏れの気持ちを持つようになれば年々歳々、心身は磨かれていくことでしょう。

ダイヤモンドと同じようなもので、磨かなければ誰の目にも止まらない石ころです。

身体もそういうものではないでしょうか。

有志のみなさまにはぜひ活元運動をお伝えしたいと思います。

次回は22日土曜日です。