整体の健康観をひと言でいえば「適度を知る」ということである。
平たくいえば、その身体に「ちょうどいい」ものを与える、
‥ということ。
これだけ聞くと「非常にシンプルでカンタン」と思われやすいけれども、自然から大きく逸脱した人間が、この「ちょうどいいが」判るためには毎日毎日自分の感覚と向き合ったとして、どんなに早くても10年くらいはかかる。
ダイエットなんかを一度でも熱心に取り組んだ方は判ると思う。食の「適量」ひとつとってもあれこれ頭で考え出すと自分の感覚がよくわからなくなるのだ。
食にかぎらず、運動、睡眠、そのたもろもろ身体の「適度」がわかるためには身体の感覚がいい意味でむきだしになるまでひらすら心を静める必要がある。
とにかく背骨がゆるみきるまで氣を通すことが大切で、そのために整体操法、愉気、活元運動の三つは「整体」へと導いていくための高度な手法なのだ。
最近になってつくづく整体が他のいろいろな健康法や自然療法と異なるものであると痛感する。それは人間が思弁的に作り出した「理論」ではないからだ。
その身体に合う、合わないはすべて内部感覚の委ねられる。その感覚を研いでいくことだけが自立した健康生活へと通じる唯一の道だ。
自分の適度は自分以外の誰に聞いても分からない。自己との対話、たましいとの連絡性をよくすることだけがその人を本当の意味で丈夫にする。
日に一度いっさいの知識を放棄して、身体そのものになろう。道も快も美も、そこに現れるはずだ。