体癖論とタイプ論

野口整体に加えてユング心理学の本も読んでいるので、どうしても体癖論とタイプ論の共通性が気になる。

体癖とは全部で5つある腰の骨に対してそれぞれ、思考(上下型)・感情(左右型)・闘争(捻れ型)・愛憎(開閉型)・理性(前後型)といった気質を適合させ、さらにそれをエネルギーの集中と分散の2つに分けた。

そして5×2で計10種類の体癖素質(その人なりの気質や感受性傾向)に分類される。

これに対してユングのタイプ論ははるかに知名度は高いと思われるが、思考・感情、直観・感覚の4つの機能に対して外向的・内向的の×2であるから合計は8になる。

細かい組み合わせについては割愛するが、一つ一つ当てはめて考えていくと10引く8で結果、体癖のほうが2つが余る。

体癖はその名の通り身体性から出発した分類法なのに対して、タイプ論はユングの臨床経験と自身のヨーガ(瞑想)体験による無意識の探索から紡ぎ出された理論である(ユングはそれほど身体には着目していないと思われる)。

この二つをお互いを組み合わせていくと意外に整合性が取れる面があって興味深い。

しかしユングの場合は思考・感情、直観・感覚この4つすべての機能をバランスよく発達させることで人格の円満な成長を推奨するのに対し、野口整体の体癖では特定のものが際立っていてその偏りは生涯変わらないという。

「欠点を克服するよりも長所を伸ばす、そうすることで欠点は気ならなくなる」といった見解である。

どちらも個人の特性を如何に成長させ、どう活かすか、という目標に向かう態度ではあるが、これこそ両氏の「個性」が際立つ結果となっているのは面白い。

また、よく考えてみれば「人格の成長」とひと口に言っても、具体的には一体どのような変化をもって成長と呼ぶべきかはむずかしい問題である。

そこに解答の多様性と人間探求の奥深さが見て取れる。

整体も心理学もゴールや正解のない学問だけに、その答えも個人感受性によって多様性を帯びてくる。いずれにしても自分の資質を見究めることは大切だ。

そこで身体というのが重要な鍵になる。近年「身体性」という言葉が用いられるようになったけれども、野口整体はだいぶ先駆けに位置していたものと思われる。

長くなったが野口整体もユング心理学も本気で勉強しようと思ったらとても50年100年では学びきれないスケールである。それでも自分なりの人間理解を構築していきたいなと思っている。