数年前から「セルフイメージ」という言葉をよく耳にするようになった。「プラス思考」と同様にわかりやすいし、親しみやすいのかもしれない。
「セルフイメージさえ変われば健康も富も自在である」といったふれ込みのもと、セミナーや個人セッションをビジネスにしているケースもよく見かける。
しかし残念ながら少しばかり小銭をはたいたくらいで人間が変わるなど、そんな甘い話はないのである。
高額のセミナーに参加して何かが変わるとすればそれは貯金の残高くらいで、おそらくそこで味わえるのは一過性の高揚感ぐらいだろう。そんな「スバラシイ体験」など、薬か酒に酔っているような状態とさして変わらないのである。
人生において自身の内外で湧き起こる幾多の苦境を乗り越え、新たな自我を形成しながら生きていく道を歩むためには、質の高い志と情熱、そして一定の歳月を要する。
ユング心理学ではこの動きを「個性化の過程」と呼び、これこそが心理療法における至高の目的である、と唱導している。
個性化とはおよそ次のようなものである。
個人に内在する可能性を実現し、その自我を高次の全体性へと志向せしめる努力の過程を、ユングは個性化の過程(individuation process)、あるいは自己実現(self-realization)の過程と呼び、人生の究極の目標と考えた。(河合隼雄著『ユング心理学入門』培風館 p.220)
上の引用を読むだけでもわかる人には解ると思うが、先ほども述べたように個性化の道は長く険しい。
それだけに一時的に特定の指導者やドグマ、集団に帰依して安息を得ることにも意味を見出すことはできるのである。
つまり大乗的な発想で、ちょうどバスや客船にでも乗ったような心持で他力に委ねていれば、スタートから道の半ばくらいまでは楽に歩を進めることができる。
しかし、「ある時期」が来たらそこを去らねばらない。
最終的に「自分のこと」というのは、いくら他人に訊ねてもわからない領域がある。
昔から人間の世の中には数々の英雄の冒険譚や宝探しの物語が語り継がれてきたが、これらのモチーフに象徴されるように、「個性化」や「自己実現」というのは大変な苦難の果てに得られる財宝のようなものと思ってもいいだろう。
そこに至るには、たった独りで真っ暗な無意識の海に挑んで行かねばならないのである。
言うなれば、孤独に耐えられない人間が「真の個性化を生きる」など夢のまた夢と思った方がよいだろう。
以上の理由から結論すると「セルフイメージ商法」にも存在意義はある、と言えばあるのだ。
ただしそこは「通過点」であることを弁えた上で、冷静な判断のもとに時間と費用を割くのが順当なのだが、なかなかそうは問屋が卸さないのが実状である。そこは相手もプロだ。
もっとも、「窮すれば変じ、変ずれば通ず」の古語に照らせば、人間が変わるために有効な事象とは先ず「困ること」、そして「痛い目をみること」である。
どんな人でも7、8回カスを掴まされる間には、だいたい「道」の概要が見えていくるものだ。
寄り道、回り道も個性化へとつづく一本道であるといえばそうなのである。警告のつもりで書き始めたが、ぬるい諦めのような着地点になってしまった。
これを読まれた方が「セルフイメージなんて、そう簡単には変わらない」ということだけご理解いただければ一応はよしとしようか。