可視化される無意識

お会いする方から以前のブログは面白いですね、と言っていただくことがよくある。「以前の」ブログはって、複雑な気持ちになるけれども‥。

2009年から断続的に続いてきたこのブログも、大きく分けるとココログ期、アメブロ期、ワードプレス期(現在)の3つに大別される。

その時その時で反応してお越しになるお客さんが違ったので、それぞれ思い出すと感慨深い。

思えばココログ期(2009~2011)というのは純粋であり、単純であった。というか、こちらの仕事もそれだけストレートだったのかもしれない。

お客さんは近所(大口)の人が大半で、来たらよくする、ただそれだけだった。よくならないことも多かったけど、兎も角、純粋だったという印象がある。

アメブロ期(2011~2013)は、ひと言でいえば動的。あっひー先生というペルソナを確立してやっさもっさ楽しく書いていたのだが、今から考えると西日本からもお客さんが来ていたのはこのアメブロ期だけである。

「面白い」と言っていただくのもだいたいこの辺りの記事が多い。

そして、結婚したのち妻にワードプレスを作ってもらってからは、複雑・混迷を極めている。野口整体がわけわかんなくなってきたのもこの時期であり、例えるなら小学生の算数のテストを前にしながら、「何故、1足す1は2なのだろうか」と頭を抱えているような感覚に近い。

「目的」や「手段」というものは単純であるに越したことはないのだが、単純だと思っていたものが続けていったら複雑だった、というのはどのような道でもよくある話である。

複雑性に気づいたのだからそれだけ深まったのだと思いたいが、ブログを読んでくださる方はある意味退屈かもしれない。

そうかと言って、面白かったと言われた時期に戻ることなどできず、このまま書いていくのみである。

とかなんとか、開業して9年たらずでセンチなノスタルジーに浸ってしまった。

野口先生は「過去は糞の如し」と言ったが、糞なら畑に撒けば肥料になる。過去にそんな有用性などないのだ。

昨日までの全てをご破算にして、無意識の自己実現は今日も続いてく。