やさしさに包まれたなら

なんだかんだ言って「やさしさ」は大切だ

「やさしさとは何か」と考えていくといろいろな定義が生まれそうだが、ここではいわゆる母性原理のようなもの指している、と思う

整体指導という「人を癒し育む」仕事においては父性も母性も同等に大切なのだが、現代(戦後)の日本社会では父性がますます希薄になってきているために、メンタル系の指導者には「コワモテ」の人が目立つ

具体的に言うと、占い師などでも「あなたはこういうところがダメ!今日からこうなさい」などというような、ズバッと言ってくれる人の需要が一定にあるのだ

そもそも父性と言うのは実社会の厳しさを象徴し代行するのが役割である

つまり家庭という外界から閉ざされ保護された領域内おいて、父親は疑似社会的な役割を担い、子どもに適度なストレスを与え鍛えていくのが理想だ

しかし人間の成長には父性も母性もバランスよく求められるのは当然で、あまり男性的な論理性や合理性の枠を押しつけられると人間はやがて野性味が薄れ、しなびてくるものである

たまごを孵(かえ)すためにはそうしたストレス以前に程よく快適な温度が必要なように、「いのち」を生かすためには快と安堵が基点になる

今にして思うと30代は自分自身が父性を求めていたせいもあって、仕事の態度にも固さが目立っていたのではないかと思う

しかし西洋で生まれ発展してきた「カウンセリング」に関心を持ち始めたあたりから、治療現場における「やわらかい母性」の価値を新たに認識し始めたのかもしれない

以前ある心理臨床家の言葉で「(治療者たるもの)自分の人格的偏り、治療の偏りに敏感であれ」というものを読んだことがある

だからって自分の「偏り」が解消されたなどとは思わないが、何かしらの見えないコダワリが一つはずれたのだとは思いたい

くり返すが、何ごともバランスが大切なので「父母性のどっちが‥」という言い方はできないけれども、ともかく今は「やさしは大切」と思った、ということに留めるつもりだ

人間は誰しも「無自覚の偏り」の宝庫である

道に完成はないのだ