みんなが愉気ができるようになったら・・・(2)

久しぶりにらーめん一風堂に行ったった。零(ゼロ)という期間限定のプロトタイプらーめんがあったのでそれとめんたいご飯でもぐもぐ・・。((;~;))ムグムグ…

替え玉3回でやめたけど今日はエンドレスで食べられそうだった。いくらでも寝られるし食べられる、身体が休みたがってるんだ。

たらたら書いてたら同じタイトルで3日めになってしまいました。

みんなが愉気ができるようになったら・・・きっといい世の中になる。

そんな気がする、2012夏。

愉気をすると硬直した筋肉が弛んで、眠たくなります。

マッサージとかリラクゼーションサロンでも、揉まれながら半分くらいは眠ってしまった・・という経験のある方はいらっしゃると思います。(僕もあります・・^^;)

せい氣院でも操法を受けてお家に帰ったらコトっと小一時間くらい眠ってしまったという人がいますけど、この眠るっていうのが最終的に整体の技術の仕上げになっています。眠ることで操法が完結するのだ、ぐらいのいきおいです。

なぜなら人間の治癒力というのはちゃんと眠れた時に爆発するからです。

逆に比較的軽い病気から難病にいたるまで、きちっと眠れていないことに端を発するものは少なくありません。

いわゆる自律神経系のバランス欠如が、眠りの質を悪くして免疫力を下げてしまっています。だから風邪をひいて、食欲がなくなって、発熱して、ダルくなって、眠くなる、というのは免疫力を上げるための自然の整体法だ、ということがいえるんですよね。^^

この自立神経系のバランスをつかさどるのが筋骨の部位でいうと「骨盤」です。仙骨や、呼吸活点という骨盤の急所に愉氣することで深い眠りを誘導することができる。

整体っていうのは体をきったりはったりしないので、見る人によっては現代医療や代替療法の中でも「消極的」に見えるかもしれません。

でも例えば、開腹手術っていうのは体を切り裂いているんですよね。麻酔をして滅菌した器具で安全に行ってはいますが、大怪我をしているってことの認識が全体においてぼやけている。このことが僕からするとコワい。

整体というのは身体、生命を徹頭徹尾、これ以上ないくらい大事にします。それは「絶対安静」なんていうイジケた養生観ではなくて、動くべくして動き、休むべくして休む、いかなるときも生命の健全さを疑わずに淡々と息をし続けるということなんですけど。

それを具体的にあらわすといつも、「待つ」という言葉に集約される。その「待つ」は全身の氣を集中させて鎮めて亢める、派手なアクションはないけれど「静中動在り」の、積極的で主体的な「待機」の姿勢だ。

呼吸を深く深く練っていった人の愉氣は、相手の呼吸をシンクロさせて深くします。つまり他動的に安心して待てる身体にしてしまう。

これは愉気法の一つの側面ですけど、こういうことがもっともっと世の中に認知されるようにしていくのも僕の仕事の一つだと、そういうことにしちょる。^^