シャーマニズム

大学生のころ空手の指導員をやっていた。

スポーツライクな競技空手の道場だったが、以外にも中高年層の方々が健康保持の目的でよく入門してきたものである。

ある初老の男性が入門されて3ヶ月ほど経ったときに、病院でいつもの検査をしたら糖尿病の症状が消えていたという。さらに肝機能検査の数値も改善されていたと笑顔で報告をしてくださったのを覚えている。

お医者さんも「空手ってすごいですね」とおどろかれたそうだが、当時20歳そこそこの軽輩だった私は「へー‥、そんなものか」と思っていた。

しかし今からよく考えれば、これは大変な恩恵である。

整体の仕事をやってみてわかったが、デスクワークに就労される方は50代の半ばくらいになると身心にはいろいろな病気や問題が起こっている。

もちろん整体と活元運動だけで良くなる人は良くなるけれども、半年、一年と通ってもなかなか芳しい結果に至らない人がいるのも事実である。

この場合よく見受けられるのは、姿勢を保つ内側の筋肉がかなり退化していたり、身体を大きく動かす機会がないために慢性的に呼吸が浅くなっていたりする。

中には整体に通いながら「身体」に興味を持ち始めて、弓道や合気道を始められるような人がいるが、そうなると早晩整体には来られなくなる。

これはある意味で「自立した」とも言えるだろう。整体指導が実ったとも言えそうである。

巷では野口整体をボディワークの一環としてみる向きもあるようだが、それだけでは理解として不十分のように私には思える。

「整体」とは、心にも体にも偏りを持たない生命の全き状態である。その整体へと導いていくための「整体指導」というものは、ボディワークという領域を超えた、ライフコンサルタントとでも言った方がしっくりくる。

つまり身体を整え、精神の平衡を保つのは通過点であって、その人が自発的に動くこと、「何かやってみよう」という裡なる動きを揺す振り起こすことに主眼を置いているのだ。

人間というものはほんの少しだけ、心の角度を変えてやるとそこから全てか変わってくる。

今まで何をやるにもおっくうだったような人が、何かをはじめてみよう、身体を動かしてみよう、と思った時点でその人の自我意識は微量に崩壊して再構築されているのだ。

意識が変わりはじめると、その人を中心に人間関係から環境の全てを巻き込んで変容してくるから面白いものである。

これがいわゆるシンクロニシティ(共時性)というもので、これを人為とも無為ともつかない中間層で引き起こすのが整体の効用である。そして直接的には、何がそこにたらきかけるのかといえば「氣」なのだ。

孟子に「志は気の帥なり、気は体の充なり」という言葉があるけれども、これは最初に志を打ち立てることで気をリードして、気の具現体としての身体を引っ張っていくという理論である。

これとは逆に身体内の氣を揺す振り起こすことで、より高次の志を形成させる方へとフィードバックさせるのが整体指導の眼目とも言える。

「指導」という以上はどこかへ導いていかなくてはならない。その「どこか」というのは彼の生命の方が知っている。整体指導者はいのちの要求を汲み、それを身体上に表現するものである。

いわば生命に仕える仕事なので、これを神事といっても差支えはないように思う。あらゆる宗教的思想が科学に粉砕されつづける現代において、このようなシャーマニズムの原型ともいえる態度に立ち返るのも有効ではないだろうか。