体癖理解までの果てしない道のり

先日の活元会では茶話会の時に「体癖」の話になりました(若干盛り上がった気が‥)。

野口整体に興味を持たれると、まず最初にピン!とくるのは「体癖」であることは多いのです。私もそうでしたし‥。

見ようによっては「動物占い」みたいで面白いですし、何故あの人はああなのか、自分はこうなのか、ということについて少しでも原因らしきものが解ると(一時的に)ラクにもなりますから。

ただし「体癖の知識を得る」ということと「体験的に理解する」というレベルの間には大ーきな隔たりがあります。‥と思います。

身体、特に腰椎を観て、触れて「〇〇種」である、ということがきちっと解るには‥まず豊富な臨床経験が必須であることはもちろん、自分の内的な身体感覚が相当高度にならなければ無理でしょう。

自分の身体のレベルまでしか他者を理解することができない、のは「原則」ですから。

それから、仮にある程度「ワカる」ようになってからでも、今度はそれを「何のためにどう使うか」ということはさらに重要です。

プロならばその体癖感受性を上手に使って、‥平たく言えば相手を「元気にする」ために活かすのですが、この辺りも「人間の複雑性」を知れば知るほど「慎重」にならざるを得なくなります。

まぁ‥、だからやっぱり興味をもって一生懸命、毎日毎日研鑚して本当に「体癖」を活かせるようになるにはゆうに20年はかかりますかね。

そんなように思います。

悪くすれば「私は〇〇だから△△なんだ」という思考停止になりますから。これでは自分という生の実体にぶつかりブツカリしながら進んで行くべき自己探求が頓挫してしまいます。

もちろんアマチュアの方が〔身体・いのち〕という広大な海を「波打ちぎわか望んでいる」程度なら、そこまで入れ込んで調べる必要はないかもしれませんが‥。

実際に心というものに身体を通じてずっと向き合っていくと、人間というものがどれくらい解らないか、ということがだんだん、だんだん判ってくるものです。

また本来「自分を知る」という長く険しい道のりは「茨の道」だと、またそうでなければならないと思うのです。

体癖というのは、そういうある種「危険地帯」を歩むための指針の一つ、息杖みたいなものだと思えばいいんじゃないかと、最近はそう思います。

そういう意味で自己を知るための近道はないと思って、精進あるのみ、なんですよね。自分は、まだまだです。

(今日のおすすめ図書)