何のために活元運動をやるの?

今日は愉気と活元運動の会でした。ご参加の皆さん、お疲れ様でした。

自分の経験でもそうですけど、身体の学びは3歩進んで2.5歩戻るようなことがしょっちゅうある。だいぶいいなーと思ったらカクッと調子を崩したりするから飽きないし、面白い。

活元運動もどんどん発展していくときもあるし、ぼそっ・・と動かないときもある。それはそれで自然でいいと思います。

愉気も活元もそうやって一期一会な反面、ある意味では同じことの繰り返しなので何のために活元運動をやるのー、という哲学的な疑問は尽きない。運動の目的の一つは自分の心と体を自由にするためだ。

人生の多くは「思い込み」という名のレールの上を走っているから。きれいな景色を見ながら楽しく運行してればそれでいいし、アレ?なんか苦しい、おかしいぞ?となったらそのレールを一旦降りてルートを組み直してみるといいみたいだ。

そうやって知らない間に自分で作った、自分の殻をやぶる。命に掛けてしまったリミッターをはずすのが野口整体だし、それを助けるのが僕の仕事だ。

人って死ぬまで成長するから。成長するためには苦しいこともあるけど、人間であることの醍醐味とか喜びってだいたいその辺にあるよね。

次回の愉気の会は7月25日です。

愉氣の実習風景
愉気の実習風景