燭は切るにしたがって輝きを増し、心は向うにしたがって明を隠す

今日は午後から渋谷のBunkamuraにいって、

『白隠展』を観てきました。(白隠慧鶴(はくいんえかく)は江戸時代のお坊さんです)

禅僧だけど、絵も描いたし書もかいた、自分が罹った禅病を治した健康法(治療法?)も伝えた。

会場内には書と水墨画がぎっしりつまってたけど展示数はけっこう多い。描いた時期によっていろんな顔を見せるんだけど、基本的にすっごく繊細な人だ。

白隠慧鶴のことは大森曹玄師の書かれた『禅の高僧』(春秋社)から知識を得た。

整体も禅宗と同じ自分で自分を救うための個人救済の宗教なので、素養として禅は勉強は知っておいて損はなかろうて。

仕事の上ですぐに役立つような即効性はないけど、すぐに役立つようなものってすぐに役立たなくなる気がする。

小手先芸には汎用性はない。

基本的に「学び」って目的意識を持った時点で「1+1=2」以上の結果って上がってこないと思うのだ。

人間最後は教養がものを言うから、大人になってからの勉強って大事なのよね。俺が教養とか言ってる時点でどうかって話はあるか。