不妊治療

整体師という立場で「子供ができない」という悩みをうかがうのだけど、これが医療行為の対象になっていることにいつも違和感を覚える。
普通に考えて命ができるできないという問題に僕が介入することにもしっくりいかない。
不妊治療という言葉自体にも問題があって、これは子供ができないという観念を育てやすい。もちろん「不妊治療を受けてやっとできた子です。」という話も少なからずあるので物理的な問題も皆無ではないのかもしれないけど、同じ治療を受けても結果に差が出るのだからやはり目に見えないところもおろそかにはできない。
ただときどき投薬による不妊治療を中断した人をみるけど、「整体」の観察からいえば卵巣が妙に固くなったりしているので、これでホントに子供ができるのかな(?)という疑問は湧く。不妊治療はお金もかかるらしいし、心身ともにこたえる。
「だから治療をやめて整体をやりましょう」なんで野暮なことは言わないが、食事から生活環境から身体まで改善して、やれることをやったあと最後は精神論になる。
世界的に、歴史的に大局的な観点にたってみたら、自分で選んだ相手と一緒に生活して、お金を払って治療に取り組めるという環境がどれだけ恵まれているかがわかると少し気分も変わらないだろうか。