逆子体操では直らない逆子

昨年の今頃、「逆子体操を毎日やっている」という方をみていた。「28週から毎日、いくらやっても直らなくて・・」と悩んでいらしたのでその場で実演していただくと、大変キツそうだった。

「逆子体操はあなたの身体には合いませんから」、といって初回の時に止めていただいたのをよく覚えている。それよりも不安で腰が縮こまっているようだったので、カウンセリングでストレスの原因を伺っているうちにだいぶ腰の形が正常に戻ったのだ。2回目にお見えになったときにはもう表情が明るくなっていたので、言わずもがなの結果であった。逆子体操を止めた直後の7日の間に戻ったのだ。

誤解のないように言っておくと、「逆子体操」が悪いという話ではない。どんな刺激であっても、「その時のその身体に、合う、合わない」という診断が正確につかななければ、闇鉄砲と一緒で当るかもしれないし当らないかもしれない。先のケースではむしろ弊害であったのだ。整体は命に触れる御業である。厳しいようだがこういう「やってみなければわからない」ようなものを技術と見做す訳にはいかない。

何事も原因が解らなければ対処のしようがないのだ。だから整体はいつ如何なる時も「原因を観る」ということに集中する。自身で探求するなら、一つの目安はやはり「快・不快」の感覚だろう。身体に合うものは快く、合わないものは不快に感じる。「他はこれ吾にあらず」という言葉の示す通り、この快・不快は自分にしか判らない。野口整体が身体感覚の保持、向上を説くのはそのためなのだ。

今回は体操だったからこの程度だが、運動にしろ、食事にしろ、薬にしろ、自身に合う合わないかを判らないで生きているということは危なっかしい。産まれた当初はみんな100%の「感覚」が働いているのに、成長するにつれて大なり小なりそれがくもってくる。原初的な身体感覚が「良い意味でむきだしになる」ということが、整体指導の目的の一つだ。野口整体を「野生の哲学」と説いた例もあるが、言い得て妙である。

実のところ、逆子になってからで訓練するのではちょっと遅いのだ。だが「気づかないでいる」よりはずっといい。逆子が直る、直らないという事よりも、それを機会に自分自身の感覚に目を向ける人になることが観ていて一番嬉しい。自分を守るのは自身の身体感覚である。しかもこれから備えるのではなく、今あるものを最大限に使うのだからなお良いのだ。自分自身が、自分自身を、自分自身で救うのだから、これが一番間違いがないではないか。人間がいるかぎりこういう学びには用があるし、誰かが説き続ける必要がある。養生とは自然を知り、その自然を人体上に現すことなのだ。

逆子体操