この2週間ばかりは子供の夜鳴きにやられている。「整体」をやっているとさぞかしラクな良い子育てをしているだろうと思われるんだけど、親子ともども普通に泣いたり笑ったりの日々で、とても立派な話はできない。どこにでもあるふつーの育児だ。
夜鳴きについてよく見ていると、程度の差はあれぎゃん泣きした翌朝は大抵きげんが良いので見ている方がアラ?っとなる。泣くには泣くだけの理由があるはずで、ムリに止めない方がいいのかもしれない。泣くだけ泣いてしまえばスッキリするのは大人も子供も変わらない。
少し仕事に寄った話をすると、滞った「感情」が流れるための水路を開けることが整体の要訣だ。止まってしまった感情が動き始めないことには、身体にいくら力を加えたって何も変わらない。心が動くと一気に身体が変わるので、やっぱり心と体は同じものの別称なのだ。感情が複雑に絡まると、身体が偏ってくる。
心理学用語でいう「コンプレックス」は「感情複合」と訳されるけれど、もともとは「複雑だ」という程度の意味らしい。身体がスキッとしない人は環境に揉まれ過ぎて自分の今の感情が解らなくなっていることが多いし、難治性の病気なんかもほとんど感情の凝固によっている。その点、子供は感情と身体が直結しているので、その場でしっかり消化することで変なこわし方をしないで済むのかもしれない。
よく育児本なんかには「赤ん坊は理由がなくても泣くことがある」とサラッと書いてあったりするけど、大人がわからないだけで「ない」と断ずるのはちょっと切ない気がする。涙には必ずその人なりの理由があるのだ。心理学の研究がいくら進んでも心そのものは手がつけられないもので、結局「おんぶにだっこ」が究極の解決策であることはいつの世も変わらないと思う。