今日は坐禅・活元会でした。
いつもと変わらず、脊髄行氣10分、坐禅45分2炷、活元運動45分、仕上げにもう一度脊髄行氣の流れです。
活元運動をする人は老いて死ぬ時にも寝込まない、苦しまないといいます。
自分が活元運動をはじめた青年期には何とも消極的な健康法だと思ったものですが、不惑の年になってみたらこんな素晴らしい修養法はないだろうと認識を改めた。
死ぬ時にジタバタしない、ということはそれだけ「よく生きた」ということ。
今生でやり残しがないということ、自分の全部を使い尽くした、とそういうことです。
そのために無意識の扉を開き、裡の要求を明らめるための坐禅と活元運動を行なっています。
整体とは生活の中に〈たましい〉が現れるようにと祈る、生に対する敬虔な態度である。
人はふとした時に日常の惰性に流され、生命に対する礼を忘れてしまう。
そんな時に意識の活動水準をさげて無意識に耳を傾けることで、生命に対する畏れの念を思い出す。
〈いのち〉に畏れを抱く人は、今日を慎ましく丁寧に生きる。
今日を丁寧に生きる人は、きっと豊かな死を迎える、と思う。
整体とは〈いのち〉に対する学びである。