リバウンド

最近、有名ダイエットジムで頑張った人たちが一部でリバウンドしているという記事を読んだ。昔からダイエットとリバウンドは切っても切れない関係のようだけれど、整体指導・心理療法にもこれと似たような現象はあると思った。

少し近しい業界では、短期間の自己啓発セミナーに行った直後に目をピカピカさせていた人が、1年後に見たらなんとなく元通りになっていた、というような話がある。

ダイエットもそうだが人間が急にガラッと変わったなんていう時には大抵注意が必要だ。最低でも半年・一年は経ってみないことには本当のところは判らない。いや本当は30年とか、その人の死に方まで観ないことには解らない。それくらいの執念で丁寧に観ていくと、「変わった、変わった」と言っても中身は殆ど変わっていないことぐらいは分かる。

一過性のダイエットと同じく、「環境」だけを強引に変えてしまったことで「自我」が適応障害を起こして変性しているだけだったりするのだ。それで結果的にやつれてたり、過剰にハイになっていたりしているだけで、どうも酒に酔っているのとさして変わらないような気もする。当然そのとき全体の調和は消えているのだ。

審美観のマヒしている人たちは「痩せたんだからそれでいーじゃないか」と思うのかもしれないが、「美しさ」の条件の一つに「調和」というのは欠かせない筈だ。

そもそもが、太っている人にはそういう思考形態があり、体癖素質があり、仕事や家庭環境を含めた生活の全体がある。その結果として体がふっくらしているのだから、その全部が調和していて無理がない。場合によってはそれで美しいことだってあるわけだ。

ところが食事と随意筋のコントロールだけに特化して脂肪を減らしたところで、全体としては「何か変になっている」といった妙な印象を受けることがある。だいたい人間の生命活動を支えている99%以上は不随意部分の自然調和機能であり、その不随意的活動を支えているのは無意識とか潜在意識とかいわれる心の深層部にある。

人はしきりに「変わりたい、変わりたい」というが、残念ながらそう簡単には変わらない。それはなぜかと言ったら、健常者の「自我」というのはそれだけ堅牢なのだ。また、そうでなければ、実際困る。

例えば昨日「あなたを信用して仕事を任せませす。」といった相手が、今日になったら「すいません、ボクは今までの生き方はすべて間違っていることに気づきました。今夜からインドに発って瞑想してきます。」とか言われたんではたまらない。そういうことが起こらないように、過去からの続き物としての自我というのがあって、それによって人間はお互いの生活の均衡が保たれているという面がなくもない。

ところが世の中には「二つ良いもの、さてないものよ」といって、そういう自我の安定性が古くなり役に立たなくなりかけている「自分」をいつまでも変えさせない元にもなっている。

そのために表面だけをいくらいじくっても、内から奥から、その人の「定番になっているもの」が出てきてしまうのだ。だから一見簡単そうな相談であっても、他人様の身体とか心理に立ち入るということは一定の覚悟と謙虚さがいる。安請け合いは禁物なのである。

経験の豊富な治療者というのは概して、相手の「全体」をこわさないように、乱さないように、静かに入っていって小さく仕事をすることが多い。少し仕事をして、変化を観る。どんな分野でもそうだが真のプロというのは目覚ましい結果を出すことよりも、大失敗しないことの方がよほど大事であることを知っているものだ。

繰り返すが少しいじっては間をおいて、そして全体を観る。これの繰り返し。そうしていくことで相手の力も有効に使えるし、こちらも時間は掛かるが小さなエネルギーで安全に結果を出すことができる(※ラクをするという意味ではありません)。それは結果さえ出ればその前後は知らん、という帳尻合わせの成果主義ではなく、「何故そうなったのか?」という原因に着眼する求道的精神に起因する。

ありがちだが、「結果」と「過程」の主従関係も見誤ってはいけない。言うまでもなく主体は後者にある。さらにすすんで、その「過程」を引き起こした、大本となっている「何か」を見極めなければ本当の「仕事」というのはできないものだ。ダイエットも整体指導も心理療法もコミットするべきは「結果」ではなく「過程」であり、「原因」なのである。