もし、体が躍動感を欠いているならば、その人の感動と反応は少なくなってしまう。体が生き生きとしているならそれだけ人は、現実を生き生き感じとり、活動的に反応する。調子よいと感じたり、生き生きとした気持ちを感じる時、世界をよりはっきりと感じとることができるという事実を、私たちはよく経験する。一方、うつ状態にある時には、世界は色あせたものとして映るだろう。(A・ローエン著 『引き裂かれた心と体』 創元社 pp.7-8)
整体が追究するのは感受性の正常化であり、よく「感覚する身体」です。何を感覚するかと言えばそれは身心の快と不快、そこからもう少し丁寧に考えていくとその「快と不快」の両極の中間にある、さまざまな情動の種類を感じられるようにしたい。
身心の問題(病症)の数は無数にあるけれども、その根本的原因は一つです。それは「身体感覚の喪失」であり、「自分が感じていること」がぼやけている状態を指します。そのために整体指導を行うということは、この失われた身体感覚の再生が最重要課題ということになります。
例えば当院の場合、整体を受けたあとで次の指導の時に感想伺うと、「確かに良くなっています」と言う方と、「効果があったのかなかったのか、よくわかりません」と訴える人がいます。もちろん「よくなった」が好ましく、「効果感じられず」がよろしくないと言えばそうなのでしょうが、実は後者の方が自身の身体感覚に正直であることも少なくないのですね。自分の身体に起きていることを、よくよく、丁寧に感じてみた結果の慎重な発言なのだと思います。
実際、失われた身体感覚を取り戻すには時間がかかると思っていた方がよく、それも適切な相手と正しいやり方で行っていかないと効果はなかなか上らないのです。とにかく「快い、気持ちがよい」という感覚を大切に生きていくことが肝要で、セラピーなどでも気持ちの良い動作や気持ちのいい感覚を積極的に味あわせるものは、そうした身体感覚の「鈍り」のメカニズムをよく理解した上でのことだと思うのです。
逆に生育期に苦しい境遇を味わったような人は「自分を鍛えるため」といって苦行的になることも多いのです。ですが、これでは心と体の分離が一層進んでしまいます。人が癒えていくための道は本当に、もっとずっと近いところにあるのです。今の自分の様子にじかに触れて、自分の要求に蓋することなく、淡々と快を連ねるように動いていくことが整体への近道です。これが信じられる人は、たった今から、少しずつ、楽になるとおもうのですが。
本当に簡単なんですけど、人によっては「むずかしい」と言われることも多いのでもどかしい。もっと説き方と、導き方が上手になりたいものです。