地上の星

最近またイチローの「記録」に関連するニュースをよく見るようになった。久しぶりにスタメンに選ばれた試合で好成績を残したそうな。ファンに見てもらうことで成り立つ職業である反面、記録がかかる度に興味のある人からもない人からも過剰に注目されるのだから、大変な立場だと思う。

個人的な興味を寄せているのは偉大な「記録(結果)」の方ではなくそこに至る「過程」だ。ベテランとなった現在、いつ出られるかわからない試合のために、毎日毎日高いレベルで「準備を積み重ねていること」が偉大だと思うのだ。

これに因んで、自分が大学生の頃通っていた空手の道場の先生が「試合場に上がった時には、もはや半分試合は終わっている」と言っていたのを思い出す。逆に言えばスポーツというのは、素質もさることながらプロセスの質を競っているのではないだろうか。また「試合」というのは文字通り試し合いなのだから、互いに「今回に至るプロセスはどうだったのか?」を検証する場というのが正当な理解かもしれない。

何の場合でも、仕事というのは仕込みが9割なのだ。自身が会社員だったころを思い出すと、朝はギリギリまで寝まくり、朝飯もほどほどに通勤電車に飛び乗って、息つく間もなく職場に立っていた。今から思うとよくあれでよく社会人が務まっていたと思うのだが、固定給というのは恐ろしいもので、少々の出来・不出来では上がりも下がりもしないのが最大の利点でもあり問題点でもあるのだ。

実際のところ、すべからくプロというのは自己責任である。酒を飲もうが、携帯ゲームにハマろうが、仕事の結果に対する責任だけは100%自分が取ることになっている。外からの強制ではなく、内なる自己管理の世界なのだ。

仕事の世界を広く見れば、メジャーリーグのような豪壮な世界だけが別格かというとそうではない。プロはやはりプロである。そんなことを考えていたら、昨年屋根の葺き替えしてくれた屋根職人さんに、最後お礼の気持ちでビールの詰め合わせを渡した時のことを思いだした。その時にも期せずして職人魂を学んだのである。

「ありがとうございます。自分は飲まないんですけど、親戚の人が好きなのであげようと思います。」

「え?あ、飲めないんですか?」

「いえ好きなんですけど、この仕事は夜中でも急な雨漏りで屋根に登らないといけないことがあるので・・。飲んでも年に1、2回しか飲まないんです。」

プロとは斯くありたいものである。「地上の星」とはこれかと思ったのだった。