柳腰

この10年余りは、とにかく体でも心でも「ゆるむことがいい」というのが流行であった。癒しブームというとやや懐かしいが、その「癒し」という行為も身体の各部が「ゆるんでいる」という状態があってはじめて成り立つ。

仕事をしていて、最終的にここが「ゆるんでくれば」というポイントの一つが大腰筋だ。少し前に、「腰の反り」について書いたが、腰椎部の弾力はやはり重要なのだ。その弾力の保持を担うのが大腰筋である。これが緊張すると全身の融通性が著しく低下する。逆に大腰筋がゆるむと、腰は自然に伸びてくる。臨床の仕上げではこの形をできるだけムリなく作りたい。

今行っている整体指導を煎じ詰めると、与えられた時間内で腰がどこまで弾力を取り戻すか、というのが主題とも言える。短時間で腰がふわっと柔らかくなっていく人もいれば、一時間以上かかってもほとんど姿勢が変わらない人もいる。個人差と言ってしまえばそれまでなのだが、この「差」の中に整体操法の存在意義がある。

そのためには相手の中の余計な頑張りをできるだけ排除したい。ところが現代教育の大半が困難な状況を努力で越えることを良しとしているので、そういう態度はどうしても「自分」と「問題」との間に拮抗を生む。真面目な人ほど、正しい姿勢を作り、そこを起点とした頑張りがクセになっている気がする。

したがって、いわゆる努力家の人は知らない間に身体を固くしていることが多い。そういう方には、まず自分の緊張状態に気づいたうえで、「その頑張りをやめたらどうなるか?」というのを体験していただきたい。整体ではよく「ポカンとする」と表現するが、平易な表現でありながら、この世の中から一切の問題が消すほどの極意なのだ。

うっかりすると観念論的な話に帰結しそうだが、一個人の観念の土台となるのが身体である。例えば「剛情」と聞くと、ぎっくり腰予備軍のようなガチガチの腰を連想する。頭が深く休まるためには、やはり大腰筋の脱力は重要な鍵となるのだ。仕事をしていてもあまりお目にかかることはないのだが、柳腰というのは男女を問わず理想の人間像ではないかと思っている。