しばらくの間ブログの更新がないですね~とお客さんからつっこまれ放題だったのだけど、アウトプットとインプットでは脳の使い方がずいぶん違うと思った。
こうやって、わさわさ話ができるのは、高調期だからで、閃きがパシパシ奔ってるわりに、記憶力は乏しい。
整体では「波」を重んじるが、これは別に取りたてて言うほどのことでもない。
漁師だったら潮の干満に順じて生活していないと命を落とす。これは林業でも農業でもなんでもそうだと思うが、人間だって自然の一部なのだから理合いを無視して動けば毀れる。
こういうと誰にでも「そりゃそうだ」と言われそうだが、波を乱す行為が「治療」としてまかり通っていることは意外と多いから軽視できないのだ。
ポジション的に「薬はのんでいいんですか?」と、ときたま聞かれるが、操法を受けた後でこういう質問がきたら自分の負けだと思っている。
先月風邪の方が来たときに、「あと3日くらいは苦しいと思う」といったら翌日の夕方には経過してしまった。波を読み違いえたのだが、本人は安心したらその場で治ってしまったといっていた。静かにしてると波はスムーズだ。
「待つ」という行為を技術にまで昇華したのが整体だけど、身体を壊すもとの多くは「焦り」の気持ちがある。
引き潮の時に早く早くといってバケツかプールの水をひっくり返したくらいでは、どうにもならないことぐらいは知っているんだが、こういうことを体感的に身に修めていくことが整体だ。
いざとなると待てない人は以外に多いので平素から訓練がいるのだ。うちの整体操法の照準はここに合わせてあるし、愉気も活元運動もそのためのシンプルメソッドと位置づけしている。