整体の仕事をしていると「整体で○○は治りますか?」とか「野口整体の愉氣だけで治りますか?」と期待を込めて尋ねていただくことがる。そんな時僕はあまり上手くお話ができないことが多い。最近では整体の手当て、愉氣の本質は人間を自然に帰すための、掴みどころのない愛情のようなものだと思っているからだ。
大学生の時僕はずいぶんと心理学の本を読んでいた時期があった。エーリッヒ・フロムとかいろいろ読んだ中で印象に残っているのは、心理学の究極は愛で、愛の究極は祈りだとかいうそんな言葉があったと思う。じゃあ祈りって何だろうとなったが整体に出会ってから感じるのはそういう祈りを表現したものが整体の愉氣なのかなぁ、という感覚だ。
学生生活を終えてから早10年近くがたった現在、今になって感ずるところ思うところあるわけだが、人間のできる一番尊い行いはやっぱり愛なんだろうな。真面目に・・。僕自身愛情に恵まれて育ってきたというだけかもしれないが、それは自分や他人の命に感謝をして、静かに祈るとこではないかと思うんだな。学生時代の自分には想像できない整体師という仕事をしているが、人の身体に触れるこういう立場にあることは有り難いことだ。若き日の自らの問いに答えるような生活をさせていただいているのだから。天命というものがあるとすればこういうものか。