身体に良いもの

一時期まったくコーヒーを飲まなくなっていた。避けていたという意識もないけど、きっかけをよく思い起こすと、昔読んだ健康関連の雑誌に「コーヒーは飲まない方がいい」みたいなことが書いてあったので、潜在意識に入ったような気がする。

結婚してからはなんということもなく普通に飲むようになった。コーヒーも少し前は「カラダにわるい」と言われてみたり、いやいや「やっぱり良い」となったり、体に毒とか薬とかいう話に普遍性を求めるのは難しいのかもしれない。いわゆる普通の食べ物に関して言うと、薬効のほうに着眼すれば「良い」ということになるし、毒性の方にフォーカスすれば「悪い」になる。よく考えれば「白米」だって度を越すといろいろ病気を作る元にはなるのだから、「適量」とか「合う・合わない」が判る身体感覚も大切なのだ。

「社会毒」という言葉もよく聞くようになった。毎度のことだけど砂糖や人工甘味料などの問題点を論理的に説明されると、「なるほどな」とほぼ一方的に納得するしかない。ただ、身体が整っている人の生活習慣を確認すると、不思議と口から入れるものもバランスがよく、自然なものを選んでいる。

すこし整体の価値観を表すと、毒だけ避けていればそれで良いのかといえば、そういう訳にはいかないという話になる。身体に眠っている「耐性」というのを育てるためには、適度にストレスがかかることも有効なのだ。例えば、「おなかにはやさしいものを」といって毎日粥を炊いてよく噛んで食べると、胃袋の力が弱ってくる。冷水でもタイミングよくかぶると身体が熱くなるように、冷や飯も時には胃腸を活性化するから、身体の状態を抜きにして是非善悪は語れない。

社会毒と言われるものに、そういう潜在体力を喚起する力があるかというと体験的にはよくわからない。ただし、毒を気にしている人に限って「元気な人はいない」という独自の主観がある。よく観ていると判るのだが、体力が弱ってくるとそういうものが気になり出すみたいだ。

整体の立場から言えば「カラダにわるいもの」が気になりだしたら、まず自分の身体がどうなっているか確かめて欲しい。毒か薬かは身体が決めるというちょっと変わった視点である。ざっくばらんに言うと、もっと他にやることがあるんじゃないかと思っているのだ。