愉気は相手の力をこちらの力を結ぶもの

プルルル、プルルル、

ピッ!カチャッ!

「はい、あさひなです☆^^」

「あ、すいません、あの、HPをみてお電話したんですけど・・」

「あ、はい♪・・・ご予約ですか、それとも何かご質問ですか?」

「あ、えっと、それが子供のことでちょっとお聞きしたいことがありまして、よろしいでしょうか・・・、▽▽週間前にちょっと風邪を引いたんですけど・・そのあと、~~が○○で、・・△△になってしまって・・・それで□□をしてみたんですけど・・・**が◎●にならなくて・・・それで・・・・」

(つづく:笑)

 

こんにちは、あさひなです。(・_・)ノハーイ

ブログを毎日かくようになってからこんな感じの・・「こんなときどうしたらいいのー!!(><)」って、お電話をときどきいただくようになりました・・。^^(今月はめずらしく4回も・・^^;)

問い合わせいただくのは、ほぼ100%「野口整体を知っている」人からです。

それで、いろいろお答えはするんですけど、お話を伺っていて「ん・ん・ん・・・?」と思うことが・・。

せい氣院にお越しになるなら、みなさんに最初に知っておいて欲しいな、と思うこと、それは、、、

野口整体は「治療術」でもない、「延命法」でもない

ということです。

だから、

「こういうときは、どこに愉気(手当て)したら良いのでしょうか・・?」

とか、

「これをやってみたのですが良くなりません、他にやることはありますでしょうか・・?」

とか、

聞かれても・・・、

うーん・・。

こんなときは、いつも・・・

「ちょっと落ち着いて、一緒に深呼吸してみましょうか。」

と答えます。

 

愉気は命を見守る心です。看て、護るから、本当の「看護」ですね。

でも、「この人を良くしたいんだ!」と思いながら、心の何パーセントかは自分の不安を鎮めるつもりで自分のために愉気している、ということが結構あるんです。

そうすると何故かはわからないけど、なかなか相手の人も良くならない・・・です。それでもやれば一応効果はあるんですけど、ときにはかえって自然の経過を乱してしまっているようなときもありますね。

愉気ってそこがムズカシイ・・。

心からそう思います。

野口整体は「禅」と同じように、いわゆる個人救済の宗教なので、最終的に一人一人が「自分の足で立つ」ということを前提としています。

だから人を救いませんし、人は救えません。そんな風にも思うことがあります。

「天は自らを助くるものを助く」というのと一緒・・。

片方の手だけで拍手って打てないように・・

二つの手が同じ力でぶつかり合って、ぱん!ってなるからいい音が出ます。

人間が力を出すときもこれと同じことが起こるらしい・・・

相手の力と自分の力が「半々」です。

10の力でがんばるから10の助けがある。

500の力でがんばるから500の助けがある。

自分の力の出し惜しみをする人には・・・

・・・だれも力をかしてくれないのです!(><)ですよね・・?

甲子園だってめちゃめちゃがんばるからめちゃめちゃ応援されます。

車が走るときもエンジンがブーーーン!ってなるからタイヤと地面の間にそれだけの摩擦が起こって走れます。

だから、人をどうこうではなくって、心を鎮めて静かに見ている・・。この姿勢で触れるとその手は「愉気」になるらしい。

「看病」だって手と目を書きますよね。そしてこれはどうやら「治そう」とはしてないようです。まずは冷静に、そして一方ではとても温かい目で、人を観ている。

これと同じことが整体の「構え」でしょう、きっと。

・・今に至って僕にはそんな気がしてならないのです。

「治そう」、「治って欲しい」は「我欲」。これを極小・最小まで無限に鎮めたい・・。

そんな風に思うんですね。

こんな角度から、

野口整体の世界を見ていただくと、今までと違って見えるかもしれません。

 

まず深い息をしましょう。

世界(自分)が変わります。

たぶんね。