糖質制限のこと

今から4、5年前は毎食どんぶりでご飯を食べていた。一回の米の摂取量も中々のもので、振り返るとずいぶんと無駄なことをしていたものだと思う。ミツコの進言もきっかけになったのだが、ある時期から糖質をあまり取らなくなり現在はピークの1/3くらいだ。今の方が断然動ける。

「食べ過ぎ」というものは中々やっかいである。整体では「食べ過ぎ」の難をよく説くが、はじめの内はその「過ぎる」ということの真意がわからない。過ぎると言った時には、「身体に対して」という注意書きがいる。「その時」の身体に対して一口オーバーすれば、もう味が変わる。平たく言うと「過ぎ」たら美味しくない。だから味が変わったところでやめれば、適量ということになる。

誰でも整体を続けていくと、やがて「食事」の偏りに気づく時がある。遅い人、早い人はいるが、やっていればやがては「感受性」が発達するので、そうなると味でも量でも身体に対する適量が判るのだ。

ずっと以前に「糖質制限」という手法を聞いて試みたのだが、自分の場合は続かなかった。「目的意識」が薄かったこともあるが、今から考えると「制限」という外力に対して無意識的な抵抗感が働いてしまったのだと思う。何ごとも「ガマンを重ねれば健康になれる」と心底思っている人には、「制限」はとても有効だ。しかしそれも信じきれなければ効果はない。

全般的に言えば、今の日本なら糖質制限が有効な人は多いのもうなずける。しかし昔から断食(減食)療法は定期的にブームにはなるのに、恒常的な市民権を得られないのはやはり「個人」を見落としているからだろう。整体では、一にも、二にも個々人の身体感覚の向上を勧める。

他人のモノサシで決めてもらったものは、どこまでいっても完全に自分に合う日は来ない。自身で合う、合わないということが判るようになって、初めて自由である。自らに由るということだから、知識を増やして安定させるのではなく、「知識」や「制限」のいらない敏感な身体になっていただくのが整体指導の要訣だ。

糖質制限2