90年代の後半あたりからだと思うが、様々なボディーワークの世界が展開され今は誰もが何でも自由に学ぶことができる。特に30〜40年前はヨガなどはかなりマイナーなめずらしい世界だったろうに、その人口も女性を中心にずいぶん増えたものだと思う。
美容目的で行われている方も結構ありそうだが、当院にお越しになっている方のお話を聞いていくと「身体」に漠然とした可能性を求めている方は存外に多い。
経済的な成長が頭打ちになった現代において、安定した生活を確保しても「幸福感」や「生きがい感」といったものの充足は別次元であることが露呈した。
そういう心と体の「渇き」を埋めるために更なる目に見えないものを求めて、身体の可能性や精神世界に傾倒している人が増えているのだと思う。
成人になってからこういう身体の学びをもとめるのは、子供時代の身体を使った遊びの体験があまりに少ないからではないだろうか。かくいう自分自身もファミコン直撃世代である。
「キレる」という言葉が一般化したのも大体この世代で、足腰を動かさず手の親指だけを過剰に動かして脳に信号を送り続けるとどうもキレやすくなるようだ。
文化というものはその土地土地の風土が生み出す身体性から発展していくもので、身体が萎えれば文化も脆弱になるのは自然の道理となっている。
逆に体を正しい方向に刺激していけば個人が自立し、やがて公、地域や社会、国までが強固になっていくのも事実である。
森信三氏の『立腰教育入門』という本には姿勢が精神に及ばす影響がいくつも書かれているのだが、おそらく今の教育現場では非科学的な空論として軽視されるのがオチではなかろうか。
あるいは下手に「腰を伸ばせ伸ばせ」というと体罰として、忌避されるかもしれない。
立腰教育とは「仙骨を立てる」という体勢こそが教育の要で、腰が伸びることが即人間形成となりうると説く。またそれは万病予防の基本でもあると主張する。そして自分の心と体、そして実生活における中心線を物理的に堅持する要とするのである。
せい氣院を訪ねてくる女性には月経不順や不妊、自律神経系のトラブルやホルモンバランスの欠如(バセドー)のような悩みが多く、このような方の大半は対症療法に追われて改善の決め手がないまま漫然とやり過ごしている。
そういう生理的な不調も、姿勢の指導を3ヶ月、半年単位で行うと大方改善されるので姿勢は侮れないのだ。いわゆる野口整体の整体指導と森氏の立腰教育というのは日本特有の腰肚文化を基盤とした養生法という点で通底している。
ただ、姿勢を「正そう、正そう」と言ってもそうなるものではなく、身体上の無自覚な緊張に気付きてこれを抜くことが必要である。
立腰を実現するうえでは野口整体の活元運動は大変有効である。はじめのうちは効果も意義も見出しにくいが、淡々と続けることで知らぬ間に身体の自然を理解して無為の健康を獲得できる。
頭の理解で意識的に伸ばした腰と、潜在意識がクリアになることで結果的に伸びた腰では弾力が違うのである。人間教育の要として姿勢に着目した森氏の慧眼によって活元運動の価値を再認識する次第である。