家から三本前の辻は車道になっている。どういうわけかこの道はしょっちゅう事故が起こる。
ちゃんと数えたわけではないけれど、だいたい1、2か月に一回は車かバイクが事故を起こして傍らにパトカーが止まっているのを目撃するのだ。
今朝もあったのだが車と原付が接触したらしく、どういうわけか車の方が横転していた。
俗に「魔の交差点」とか「魔の時間帯」という言葉もあるように、事故が起こるには起こりやすい環境や条件があるようだ。
またこういう外的な条件とは別に、身体や心理の方にも事故を誘発しやすい内的な条件というものはある。
例えば今日みたいに週末に雨が降り冷え込んだ後でさーっと晴れて気温が上がったような場合、事故を起こしやすい。
体が余分に動的になって上気するのだろう。
こんな時に自分自身がいつもと違う「妙な感じ」であることが事前に分かれば事故を防ぐ手立ても生じてくる。
ところが現代のようにのべつスマホをいじっているような気ぜわしい状態だと、こういう自分の内的な感覚が解らなくなる。これが内的要因で、どちらかと言えば怖いのはこちらの方である。
養生の基本は「意識を鎮める」ことにはじまって、最後もここに帰る。
それを思えば現代ほど坐禅や整体法といった身心修養の必要な時代もないだろう。
とは言いながら、こういうことも昔から言われているもので道は足下にありといえども実践する人は極めて少ない。
いつものオチだが人のことではなく禅も整体も自分がやることなのだ。さて今日の自分、今の自分はどうであろうか。
こればっかりは人に尋ねても、ググってもわからないのである。外に向かう意識活動が止んだとき、はじめて自分の感じることができる。そして自己の本当の姿もここに現れるのだ。
自己を見失うと事故に遭いやすくなる、というのはシャレにもならない話だが、「体が整っている」ということの功徳は、得をすることよりもマイナスからの回避という面が大きいせいか認知されにくい。
しかし整体の効用とは知られていないだけで実は計り知れないのである。
さて今日の自分、今の自分はどうであろうか。こういう時間を持つことが人間にとって最高の贅沢なのだ。自分の目はいま本当に覚めているだろうか。