内省と外界適応

整体と心理療法を結ぶ共通項は、自己の内面に意識を向ける「内省」にある。

この場合、「意識を向ける」と言うと、誤解をされるかもしれない。

内省の実際とは「意識的な活動を止めてみる」ということなので、このとき当人の感覚としては内省のような作業は「何もしていない」ということになるだろう。

これにより無意識および身体意識が活性化して、いわゆる「自己とつながる」感覚を味わうのである。

自己とつながることで自我が部分的に破壊され新しく再生する現象を「自我崩壊」といったりするが、このとき同様に外界もこわれて刷新する。

ここで悩ましいのは、この自我崩壊があんまり急激に行われると外界との調和関係が一過性に乱れることがあるのだ。

具体的に何が起こるかというと、今までなんでもなかった仕事がやりづらくなったり、家庭内のバランスが変わってきたりする。

そもそもが何故病気になるのかといえば、それは外界に対する適応に偏り過ぎたためである。

わかりやすくいうと「まわりに合わせ過ぎた」結果、「自分を見失っていた」といことになる。

それで病気をしたり「うつ」になったりしているのだから、もう少し自分を大事に生きてみたらどうか、ということで内省をし始めると病気は治るけれども今度は外とのバランスがむずかしい、というジレンマが生じるのである。

こうやって自己の内面と外界との間で押し合いへし合いされながら、自分というものがだんだんまろやかに練れてくる。

練れてくる、というか本当は自分らしいものが一回消えてしまうとスムーズだが、そのためにはものすごく時間がかかるのである。

ただどんな状況にしたって変化と成長の「可能性」はいつも自分が握っている、ということは間違いない。

内と外というのも、その壁を作っているのは自分である。

こういうものがすっかり落ち切るまで、自己を参究してみるとやがて必ず落ち着く場所に辿り着く。

一度そこまで行ってから、もう一回こちらに帰って来た人をはじめて「生きている」と言えるのだろう。

人生とは無意識の底に眠る自分に出会うための旅路である。