ファンタジーの生まれるところ

いきおい子供向けの映画シンカリオンに辛い評価をしてしまったが、そもそも商業ベースのアニメというのはこのぐらいで合格点なのかもしれない。

あとで調べてみるとテレビ放映も打ち切りという形で終わってしまったらしいので、それから頑張って映画をやりまっしょうと言っても、モチベーションから何からクオリティを保つのは難しかったと予想される。

いや、シンカリオンは太郎丸がアマゾンプライムで観ているのを横で観ていて、ところどころ「よくできているなぁ」と思っていたのだ。それだけにもったいなくも感じた次第である。

もとより利益を最優先に大所帯で作っていく映画と、一人の作家が死にかけながら生み出していく物語はまったく別物と思うべきかもしれない。エヴァなんかはこの二つを絶妙なラインで両立してきた稀有な例と見るべきか。

ところで最近手に取った『三つの鏡』という本の中に、ファンタジー作家のミヒャエル・エンデと心理療法家である河合隼雄先生の対談が収められている。その中で「ファンタジー」ということについて興味深いかたちで言及されている箇所があったので以下に引用する。

河合 意味を与えるというのはファンタジーですよね。

エンデ その通りです。で、その場合、批判するつもりはありませんが、私は日本のファンタジー作家と呼ばれている人たちと、何人か知り合いました。その印象でいうと、ファンタジーと言うにはちょっと軽率で、ただの作り物、愉快な遊びに過ぎないような事柄をファンタジーと言ってしまっている。「楽しければ結構だ」というにすぎないような気がします。

という、一見してなかなか厳しい見解に聞こえるが、プロの作家が下した素直な評価と思う。

考えてみれば日本は豊かになったとはいえ、物を作る際に費やされるこころの方はどうだろうか。

貧しい小説家が食うや食わずで書き上げた作品が、現代の衣食足りて知的教育が行き渡った作家のものと比べて劣るとは言えないはずだ。

もちろんハングリーならそれだけで良作が生まれるとも言えないだろうが、かつては全身心を振り絞って生み出していたものが、現代の作品の多くは頭だけが過剰に働いた結果生じる思考の沈殿物で構築した「作り話」のように感じられる。

それだけでなく最近の漫画やおもちゃを観ていると、どうも金に使われ過ぎて「子供に夢を見させる」という制作サイドのゆとりやふところの深さ、温かみのようなものが私には感じられない。

ガチャとかゲームにしても、「こんなもん渡されてホントに子どもが喜ぶと思ってるのだろうか?」と疑いたくなるような(中にはだましとも呼べそうな)ものが平気で散乱している。

何を作るにも金に追われ過ぎて「絶対に外してはいけない」「失敗だけはゆるされない」という空気感の中で、結局当たり障りのない、当たりともハズレともつかないような商品が大量生産されているのではないだろうか。

それこそ「売れさえすれば結構だ」と言わんばかりに‥。いや、その結果売れなくなるのだが‥。

よく考えればさっき紹介した『三つの鏡』が出版されたのが1989年だから、こうした風潮は今に始まったことではないのだろう。

ともかく、少なくともファンタジーと呼べるもの、本当の「物語」を生み出す行為には相当な心的エネルギーが費やされるようである。場合によっては命にかかわるほどに。

ともすれば大袈裟に聞こえるかもしれないが、現実問題小説家をはじめ有名無名に限らずクリエイターに自殺者が多いのはこのような事情と無関係ではないと私は思う。

人間心理の深みに張られた琴線にふれる物語は、作者自身がそれ相応のこころの深みにまで到達してはじめて汲み取ることができるのではないだろうか。

無意識の扉をおそるおそる開いたのち慎重かつ大胆に歩を進め、七転八倒しながら「たましい」のぎりぎりのところまで迫る行為が「創作活動」の真の姿である。さらにそこから無事帰還できた者だけがかろうじてファンタジーと呼ぶに値する物語を語れるのかもしれない。

そうでないものはわずか数ヶ月の風雪にも耐えきれずに淘汰の運命を辿るわけだが、こうして書いてみるとそれはそれで存在意義があるような気もしてきた。

右を見ても左を観てもガチの「ファンタジー」ではこころの休まる暇がないし、成長期にある子供からしたらアイデンティティの確立がむずかしくなるかもしれない。

そして何より「いいもの」は、少ないから「いい」のである。

別のくだけた言い方をすればラーメンとカップラーメンの関係みたいなもんで、どっちかがあれば片方がいらないという話ではない。最初から「別の物なのだよ」という話である。

ただあまりにもイミテーションが多過ぎて、はじめて世界に触れる子供たちがカップラーメンがラーメンである、つまり「まあ世の中のものは大体こんなものだ」と誤認してしまうのはよくないぁとは思う。

そこも子供なりの純粋さと直観で大人の手抜きや欺瞞は案外見破れそうな気がするが、提供する側としては少なくともそこに真があるかどうかの区別だけは自分自身ではっきりしておくべきだと思う。

ジャンクフードばかりでまともな発育は望めないわけで、当然自分の味覚だけは狂わないよう舌はいつも肥えさせておくべきだ。まあ死なない程度にファンタジーには親しんでおこうと思う。