子供の発熱の処置

…そういう教育は、繰り返し行われると、潜在意識の中に滲み込んでしまって、滲み込むとすぐ体を支配するのです。例えば、“四十度の熱が出たらもう駄目だ”などと思うと、すぐ元気がなくなり食欲もなくなる。けれども整体に来ている人達には、熱が出て食欲がなくなるなどという人は極めて少ない。「三十八度しか出ない」「まだ九度なんです」ときまり悪そうに言う。「なんだ、あなたの体力はそんなものですか」と言われそうで、四十度を越さないと幅が効かない。事実、四十度を越しますと、親から貰った梅毒のようなものでもなくなってしまうのです。だから子供の病気に高熱が伴ない易いということは、一面、親から遺伝してきたものに対する消毒の意味があると思うのです。だから私は、子供が高い熱を出すと、“これで安心だ”と思うのです。それがなくて大人になってから早発性痴呆になったり、脱疽になったりしたのではたまらない。ところが近頃では、熱のでることまで予防するようになってきました。ひょっとすると、もう二、三十年の内には、二十歳位になって突然気が狂うような早発性痴呆の人達が多くなるのではないか、その他にも、まだいろいろ抱えている病気の消毒が済まないまま成人していくのではないかと、その点では大変怖いと思うのです。(野口晴哉著 『整体法の基礎』 全生社 pp.22-23)

今日は“まくら”の引用文が重厚になってしまった。太郎丸の風邪の経過記事が途中になっていたので、まとめることにした。

結果から言えば発熱はおとといがピークで39.5℃まで上がった。40℃の大台も予期したが、今回はそこまで至らず、しかもデジタル体温計だったので実際はもう少し低めだったかもしれない。

野口先生の時代には「発熱は怖くない、活用すべし」と言ったら方々から非難を受けたそうな。ところが現在は西洋医療でも熱は下げない方がいい(下げるなキケン)ということが、ほぼ明らかになっているみたいだ。ただこれまで発信し続けた「常識」の手前、明言できずにお茶を濁しているというのが実情ではないだろうか。

「真理」は絶対無二だが、「常識」というのは流動的で薄弱なものだ。だがそれと同時に常識は頑迷でもある。常識に抗して地動説を唱えたガリレオはそのために処罰された。常識が覆ってからも、彼が死んでからも刑は解かれず、罪を許されたのはなんと20世紀に入ってからである。権力というのは凄まじい。今だったら天動説が非常識ということになるのだろうが、本当は天も地もはじめから動いてなどいない。発熱に対する「解釈」も似たようなものだろう。熱はただ熱として出ているだけである。

何にせよ現代に至って、それだけ野口整体と一般常識との落差が減ったのは、やりやすい反面やりがいも減じた気がする。カウンター・カルチャーが徐々にサブ・カルチャーになり、メイン・カルチャーとなった時にはその存在意義も消えてしまう。これはこれで寂しい。

少し熱の処置のセオリーを書いておくと、整体では発熱のピークに差し掛かったところで後頭部に蒸しタオルを当てることがある。本来、体力充分であるはずの1歳児ならこんなことをする必要もないのだが、今回は緊張がゆるみきらないので少し熱刺戟を使うことにした。ここからリズムが順になって、経過が良好になったうようだ。

注意したいのは、「子供が熱を出したら後頭部を温める」と覚え込むと、いま実際に、目の前で活動している〔身体〕を見失う。いわゆる自然界には「同じことは二度起こらない」という一大法則がある。その一回性の出会いに対して適合する方法は、過去の知識の堆積から見つけることは不可能だ。

〔今〕を知りたければ、〔今〕から学ぶ意外にない。整体操法とは元来、即興力の連続で構成されているのだ。そのヒントは過去の事例の中にもあるが、過去の中には答えそのものはない。記憶の蔵を漁るのをやめて、いま目の前で燃えている命の色を観ることだ。さすれば今何をすべきかは自分の命で感じ、自分の身体でわかるように出来ている。これがわからないようでは、鈍っているのだ。

他人の自然に立ち入る前に、自分の自然を守ることだ。自分の自然が表出すると、「あちら」と「こちら」の垣根は消える。それは看病、整体操法における基本であると同時に、充分条件でもある。方法論は何処まで行っても方法であり、手段でしかない。手段の奥にある理合いを感じ、そこを出発点として感じ、考える頭が欲しい。そしてその頭が消えさえすれば、愉気は無量の光となる。