ほどほど

テレビを観ていたらお米をおいしく炊くには10号炊きのお釜で何号が一番良いかというクイズが出題された。見た瞬間「それは7.8号だ」と心の中で思ったのですが三択で出題された答えは10号・7号・3号のどれかで、正解は7号とのことでした。

7.8という数字は78対22という、いわゆるユダヤの法則から転用してきたわけですが、ユダヤ人の方々は数字に強いらしくこの世の理(ことわり)をいろいろと数値に算出して生活に役立てている。(らしいのです・・)

78対22の法則というのは空気中で窒素の占める割合が78%、人体中の水分の割合が78%(どうやって測ったんだろうか・・?)など、黄金分割などと一緒で自然界に潜む均整比率を10進法の世界であらわしたものらしい。

貝原益軒の『養生訓』には腹8分目という名文句があります。やさしく言うと、「なんでもほどほどがいいよね」という意味だと思ってます。

整体師の僕の場合は人の身体を見る時にも78対22の信仰が生きている。(注:ここから信じなくていい話です。)一人の肉体の78%は調和がとれて凡庸としている。残りの22%は常に変遷する現実に対応しようとして汗をかいたり、下痢をしたり、鼻水を出したりしている部分です。

これは、現代の一般通念で「病」と言われる現象ですが、この22%の部分でいわゆる魂の修行をしています。(注:信じないでください。)整体師はこの22%のなかに生きる力を見出して100%の調和を願う。それでもその成果は最高の状態でも78%であって完璧という現象は観念の中にしか存在しない。

野球のピっチャーは100%打たれないピッチングが完成したときにピッチャーとしての仕事は終わる。未来永劫絶対潰れない会社のシステムをつくった時点で社長としての仕事は終わる。この世から病気が消えたらお医者さんの仕事は終わる。人間が毀れない肉体を備えてしまったときに魂の修行も終わるし整体師の仕事も終わる。

22%の不完全さが人間にさらに進化する可能性と生きる希望をもたらしている、と思うのです。完璧主義より不完璧主義がイイ。完璧主義の人ほど肩も腰もコリやすい。健康の秘訣は78%で満足できる不完璧主義です。僕は今日も78対22の身体に感謝して「ありがとう」と言っている。