「…子供は大人よりももっと、心と体が直結しているんだ。だから感情や心を抑えられれば体をこわす。…」
「一人を丁寧に観ていることだ。そして子供の眼がいつもいきいき輝いているように導くことだ。それさえ出来れば、大人は簡単さ。大人の中にある子供を見て話しかければ、それでいいのだ」(野口昭子著 『回想の野口晴哉』 ちくま文庫 pp.282-283)
今日太郎丸を保育園に迎えに行ったら、なにやら調子が変である。風邪の兆候もあって、だいぶ咳き込んでもいるんだけど、そういう問題じゃない。目が縮んでいる。
帰り道、いつも踏み切りで叫ぶ、「でんしゃー!」も今日はない。やっぱりおかしい。「なんだろう?」ずっと考える。
ある地点で気がついた。「あっそうか、今日は歯科検診があったと言ってたっけ」ということで、アタリはついた。なるほど、という感じ。痛かったのかも知れない。口をこじあけられたのかもしれない。
そうこうしている間に家に帰り、ごはん。そしてお風呂でリカバリーをはかる。
……
ゆるまない。
すみやかに添い寝に移行して、背中に愉気する。背中は固い。やはり、「ショック」だったのだ。
淡々とおなかに愉気する。汗が出てきた。これで動き始めたので、明日の朝また様子を観ることにする。
いつもそうなのだが太郎丸は「健康診断」をすると、健康じゃなくなる。おかしな話なのだが「健康って何?」ということが共有できていないからこうなるのだ。
健康とは心にも体にもしこりがないことだ。「順」という状態。他人が乱さなければ子供はいつも順である。大人はその順を快と感じられるように、感性を澄ませておく必要があると思う。
整体をやるならこの「健康って何?」を共有するところが着手になる。あなたにとっての健康とは何だろうか。ついでにいえば幸せってどういうことだろうか。
行先の決まっていないものはどこにも辿り着けない。整体に限らず医療に掛かる時にでも、ふと立ち止まって考えてみてはどうだろうか。その行為にどんな意味があるのか。あなたにとっての健康とは何だろうか。