惺惺著 喏喏

開業して2年くらい経った頃からずっと、仕事の前に食べる物をあれこれ模索している。当然の事ながら、指導が始まった時に一番意識が醒めているようにコンディションを持っていきたい。基本的にはあるものを食べることが殆どだけど、重要なのは味の濃淡と穀類の量だったりする。

お米を食べるといい意味では気持ちがゆるむが、一口でも余分に摂ればお腹に血が下がり過ぎてぼんやりしてくる。お腹がコテーっとしていると、まず「目」がぼやっとしてくる。ピントがぼやけるという感じではなくって、「目」がきちっと働かないのだ。それなら空腹状態がいいのかとも考えたが、そうすると自分の場合はどうも「食べていない」という空想に負けてしまう。落としどころとしては、重湯やおじやのようなものがいいのかなと今は思っている。

実際ここまでこだわって仕事の精度にどの程度影響があるかというと、本当に微々たるものなのだが。ところが「神は細部に宿る」という言葉もあるように、100%と99%の違いというのはやっぱり結果の成否を分ける。100%というのが百発百中なのに対して、99%だと「外れる可能性」が出てくるのだから。出来るかどうかやってみなければ判らないというようなものは、職能的な「技」とはいえないと思うのだ。

これが例えば野球の打者みたいな仕事だったら、「打率」とか「打てた・打てない」という成績として白黒はっきりするけれども、整体の場合は「効いた」か「効かない」かというのはお互いの主観が決めている。しかも健康とか幸せとかいうものは、マルかバツかという二分法のものではないので、下手をすると安易なところで妥協に流れやすいので注意が要るのだ。

最終的には仕事の前に、自分で自分が「いま目が醒めているのか?」と問い続けることになる。事に臨んで自分の意識さえ明瞭なら、仕事はすでに完成したに等しい。大鵬幸喜の言葉で、「土俵に上がった時には、すでに勝ち負けは決まっている」というの目にした事があって、年々歳々身に染みている。