月下の棋士

羽生善治さんの『大局観』を読む。

赤ヘルの少年といわれていた子供が、時の「名人・竜王」となって旋風を巻き起こした時あっひーは高校生だった。それからさらに10余年の歳月がたったらしい。作中に、苦しい対局をいくつも乗り越えて体得する、「鍛えの入った一手」という話があったが印象的。将棋の真の力をあらわす言葉なんだそうだ。

たしか『月下の棋士』という漫画のあとがき(だったかな・・)か何かに「将棋が強くなるのに人生の苦労なんか関係ない。将棋はゲームなのだから勝つためには将棋の勉強をするしかないし、それが全てだと思う。」というようなことが羽生さんの言葉として書かれていたような気がする。

ひと世代前の名人、谷川浩司さんという人は「光速の寄せ」といって、終盤の攻めの早さと決定力を評されていたが、羽生さんは「ハブ・マジック」という、一手で局面を切り返すさし口が話題だった。

その当時から比べると、かつて未来を感じさせた気鋭の若武者が、鍛えの入った「将」になったという風格を感じさせる。プロの世界、特に直接的な勝負がからむ社会はなによりも人間が鍛えられるんだと思う。人は人によってつまづくし、人を救うのもまた、人だ。人は人の中にまみれて生きるから人間になるし、その人間の不思議さがなにより人間を成長させるんだろうな。

ちょっと意外だったのは文体が「です・ます」調でなく「~だ」「~る」であったこと。言葉はその人そのもの、羽生さんのイメージで勝手な憶測をしてたんでしょうが新鮮な気もした。文体と言うとあっひーのブログはこんな感じですから、あまり言えた口ではありません・・。

でも人間どこをどう押しても自分の人間性以上の技術も言葉も出てこない。背伸びをしたってすぐに馬脚を現すし、外見だけ立派にったってそうはいかん。あっひーは今はこんなもんだが自分の仕事には誇りをもってます。1日1ミリでもいいから魂を上に、と願って生きているんです。信じられないかもしれませんが・・。開祖を裏切らない、師匠を裏切らない、自分を裏切らない。といってやってきたらこうなった。そしてまだまだだ、と思って、また鍛えるんです。

鍛えの入った一手、は整体にもあてはまるし存在することを体験的に知っています。師匠というのはやっぱりありがたい存在だと思う。