せい氣院では最初の問診票に必ず「私はこうなる」という、整体指導を受ける「目標」を書いていただくのですが、この間、学生さんから就職のご相談を受けた。
その学生さんはどんな仕事をしたらいいのか「整体」を通じて自分を見つめ直したかったそうです。殊勝な心持ちに敬服したのですが、今の大学生って大変だなぁとも思った。そうはいってもあっひーなんて大学出た時はその「仕事」も決まっていなかったのだ。世間一般の価値基準に照らせば、あまり立派な話はできまい。
なにやら最近は就活問題がしょっちゅうマスコミに取りざたされている。現在は就職難で相当に思いつめてしまう大学生も少なくないそうだ。「学校」で真の人間教育がなされなくなった今日、大学でにわかに形而上的な学問や経済学を学んだくらいで、自分の生きる筋を見出そうったって土台無理な話なのだ。
こないだ電車にのっていたら高校生の会話が聞こえてきた。A君は私立のK大学にいきたいと言う。友達の何で?の質問にK大ボーイになりたい、それだけなのだそうだ。昭和バブルの時代から今日に至るまで、学歴は人生を保証してくれるお守り札みたいなもんだったが、そろそろその大卒神話のメッキも剥げてきてるんだが・・。
A君だって、オテイサイを整えて就職試験を突破した後はいかにイイトコロに収まるか考えているのだ。それがいけないわけではないが、彼はなによりも可能性に溢れた「若者」なのだ。「親」や「がっこのセンセイ」にそういう人生観しか教えてもらえなかったことがかわいそうだ、と思う。そんな価値観で会社に入ったって、自分の生き様を直視した瞬間に愛想が尽きてしまうのは目に見えているのだ。
北大の前身、札幌農学校のクラーク博士は「大志を抱け!」と言ったそうですが、僕はこういう風に教師として「ホントウにこいつを生かしてやろう!」という気迫をもった先生にはとうとう「学校」では会えなかった。
いったい今の「学校」の役割ってなんなんだとも思うのだ。どんな仕事がしたい?ったって世の中にはあまたの仕事があるが、「学生」であるうちは現実的な情報が圧倒的に少ない。
若い人たちには、働くということはまず先に社会のお役に立つことの喜びを学ぶつもりでやってみればいいと思う。得意なことや苦手なことだってやってみるからわかるのだ。今の日本ならマットウな仕事さえしてれば命まで取られることはないのだから。
僕は今世、整体を生業とさせていただいてます。人の身体から「観念」というリミッターをはずして、マッサラな一歩を踏み出すための腰力を作るのだ。この仕事は我慢と辛抱を重ねて、じっと命の成長を「待つ」仕事ですが、最近は仕事におけるひとつひとつの出来事にロマンを感じはじめています。
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