『肚-人間の重心』を読む

しばらくユングを中心に心理学系の本ばかり読んでいたが、久しぶりにカールフリート・デュルクハイムの『肚ー人間の重心』に目を通した。

スピリチュアル・ブームも下火になって久しいが、いつの世も浅薄な精神論に偏ると身体性は堕ちる、というのがもっぱらの持論である。

身体性を度外視した精神論や思考活動「だけ」で心の全体に取り組もうとすることは適当な器を持たず水を得ようとすることに等しい。

個人の思考の方向性というものは、常に彼の「体勢」に依拠しているために身体が偏れば思考も偏るのだ。

例えば「坐、禅」という体勢から生まれる精神状態にはある種の充溢感があるもので、これは坐禅を僅かでも行なえば誰もが体感できる主観的事実である。

仏道の方ではこのような(東洋的)身体行を一定期間、正確に執り行うことで起こる快情動体験のことを「法悦」と表現する。また、これをもって「悟り」を自覚するための通過儀礼とする向きもある。

ともかく前掲書では人間の重心を下腹部に置くことで、より高次の自我へ再構築を図ろうという態度を唱導しているのだ。

わたしとしてはこの「肚」を如何にして養うか、ということをずーっと考えてきているわけだけれども、汎用性の高い「正解」というものはどうも見つからない。

どうやら万人を貫いて「こうすれば肚ができる」という固定的なメソッドなどないようである。

とにかく治療でも教育でも、全ての「ヒト」に一定の方法を押しつけるという粗雑な態度では何ら有益な現象は起こらないのである(ともすれば害になりかねない)。

しかしながら、これこそが自然科学を母体とした現代の医療・戦後教育の基本モデルなのだ。現代に至って、「個人」ということを本当に考えて再出発しなければならない時代に来ているのだなと痛感する。

もちろん野口整体の「整体指導」というのはまぎれもなく「個人の理解」から出発したもので、技術的にも知識の面においても常に新たな出会いに対して新鮮な智慧を働かせることが必定である。

自身で体験を積み、カンを研ぎ澄まして新しい術理を生み出していくことが整体操法の実体だ。このカンを働かせるためにも自身の重心を常に下腹部に置くことが大切である。

無論、頭を熱くしてしては、「感ずる」という機能を高めることはできない。

「肚を作る」話に戻るが、実は野口晴哉先生は十九歳のときに「正坐をすれば万事よし」と喝破している。しかしながら現代的に考えれば環境や文化がそれを許さない。

坐の文化が消失しているために、自分の重心のホームポジションを知る人も少ない。よって少しばかり活元運動を行った程度で正しい位置に重心が落ち着く人も稀である。

やはりお会いする一人ひとりの方と毎回、オリジナルの「体育」を考えだすのが正攻法となる。そのため、当然のことながらいくらやっても方法論の完成はない。

何にせよ身体性なき時代をまっすぐに生きていくためには、自分の責任下で自分流の身体性を創造し、その質を高めていく気構えが必要だと思う。

身体のこと、人生のことを学び考える上では、最初に揚げた『肚-人間の重心』は質・量ともにかなり重厚な本である。身体論に携る方なら一度は触れられる一冊だと思うが、何らかの人生上の壁にぶつかっている人にもぜひにお勧めしたい良書中の良書である。