銀しゃりでもやもや

季節がら日によって花粉の反応がでてしまう。最近氣がついたが目が痒かったり鼻水が出やすい日はどうも米を食い過ぎている時だ。最近は涙や鼻水と一緒に何かを体の外に排出しているのかもしれないと思い始めめた。

以前ある人から白米の食べ過ぎは頭がぼやけるという話を聞いたことがあるが、整体を仕事としている人の中にも現代人の失調の原因の多くは白糖と白米の取りすぎと断じて、せっせと玄米を進めている人がいる。

100年くらい前の日本では銀しゃりは庶民の憧れでもあったが、現在は転じて雑穀米ブームだ。火付け役がいたようだが、ブームの根底には現代人の体の要求というのがあると思うのだ。

白米といえば日露戦争の時に、玄米を食べていた海軍に対し白米を主食として副食(おかず)が乏しかった陸軍は脚気による被害が多かったというお話がある。また食養生の大家 二木謙三氏は玄米を完全食として生涯にわたって食べていたというエピソードある。

ところで僕の信仰する野口整体では「食べ物をよりどる」と言うとあまり誉められない。それは不文律として「食べたい時に食べたいもの食べる」という養生観があるからだが、それがまかり通っていたのも食糧が乏しく、かつ味噌や糠など自然のものが多かった昭和30年代までの話だろう。

白米の大量摂取も体が草臥れるが現代の人の味の好みではどうしても化学調味料なども体に入ってくる。これは定量を超すと確実に頭がもやもやする。こうした現代人の体には絶えざる中毒の問題があるので、食べ過ぎの方が見えた時には排毒の急所、肝臓への愉氣を意識して身体を観ている。食べ物はよりどる、よりどらないというより控えるというのが今日の食養生となりそうだ。