活元会 2017.11.2:その人の心を清めるように動いてゆく

活元運動に上手下手はございません。

…そういう意味で敢えて進歩を言うならば、心が天心で、その人生観が自然に従って素直に生きてゆくということです。そういう自然の感じ方が身につくかつかないか、意識的な努力、意識的な気張りでやっているかどうかということが、上手と下手を分けると思うのです。

そういう気張りがだんだんなくなってくると、運動も自然になる。運動の現象が変わらなくとも、運動の内容はその人の心を清めるように動いてゆくと思うのです。つまり上手下手でなくて、その自然の感じというものが身についたかどうかということの方に問題があると思います。(『月刊全生』平成28年2月号 pp.11-12 活元運動について 2 太字は引用者)

今日は11月最初の活元会でした。上は教材からの引用です。

活元運動をやっていくことによって、自然と人生が良い様になっていくことを説いています。

文中に「心を清める」、「自然の感じ」という表現がありますが、

こういったところは整体がもっとも重視している点です。人間が意識的な努力や気張りを手放したときに得られる心身の清浄感や充足感というのをひとつの健康生活の原理と考えています。

こうした原理・原則をまず頭で理解し、その後に活元運動を実践して体得・体認していくことが大切です。

人間にもともと備わっている「自然な感じ」というものを真に身に付ける(取り戻す)ために、ひたすら意識を鎮めていくことを訓練していきます。

努力や頑張りというものを必要としない非常にやさしい道である反面、しばらく続けていくと体の裡なる要求に従って生活することがなかなかに難しいこともわかってくると思います。

コツをひとつあげるならば「焦らないこと」。

生命は治るのでも成長するのでも、あらかじめ決まったリズムや速度があります。

焦ると呼吸が浅くなり、そのことで自然の速度は遅く感じ、結果的に自らリズムを乱してしまう。

はじめに大きく呼吸(邪気の吐出)をして、自然の波間に沿って動いてく感覚に浸りながら活元運動に入っていくのも、そうした中庸のリズムに自身を同調させるためとも言えるでしょう。

心を清めるというのは「自分がそうする」というよりも、そういう自然とか無意識というものに任せてしまうことによって「自ずからそうなっていく」、ということを学ぶのにも活元運動は適しています。

次回の活元会は11月11日です。

いつも通りご参加を希望される方は前々日までに予約・お問い合わせのページからお申し込みください。