ただゆるめようとしてもゆるまない

ボディワークの世界は全般に「やわらか」ブームだ。やわらかさこそが身体の理想の状態という仮説のもとに、そのためのリラクセーション法は無数にある。

どれでもいいから自分に合ったものを選んで専心に行えば、適切なプロセスを踏んで心身のゆるみはある程度まで深まっていく。

ところがそもそも「ゆるまないのはどうしてか?」というと、ここにも様々な理由が見つかる。つまり緊張の原因は何かという問いに対する答えだから、これまた無数に存在するのだ。

説明モデルはいろいろあるが、ここでは比較的平易に纏められている成瀬悟策著『リラクセーション』にある緊張の4タイプを次に紹介することにする。

1.「その気」が起こす「準備緊張」

2.習慣化、慢性化する「恒常緊張」

3.状況によって起きる「場面緊張」

4.予期的なイメージのよる「イメージ緊張」

個々の説明はやや専門的になるの割愛するとして、だいたいはその名前の通りと思って大丈夫と思う。この中で人の健康生活を最も侵害しやすいのは2の恒常緊張である、と思う。他の3つは環境さえ変われば解放されるが、恒常と名のついている2のタイプは文字通り解放されることなく何年も何十年も個人の中にあり続ける可能性をもっている。

これをいかにしてクライエントに自覚させ、ゆるめるかというのは心身の健康にたずさわる者にとっての一大テーマであるといってよい。

簡単にいえば身体内外の緊張をゆるませようと試みるとき、その人は「ゆるませようとする自分」と「緊張を生み出している自分」との対立関係に直面することになる。

その結果、身体上の緊張がゆるんでいく過程において、漠とした陰鬱なイメージが沸いて来たり、イラ立ちや焦燥感にかきたてられることを訴えるクライエントは少なくない。

これはアレクサンダー・ローエンも自著の中で繰り返しあらわしているが、身体の緊張の多くは過去に体験した負の情動を氷漬けにして閉じ込めているものだという。だからその解凍をする(筋肉を弛める)という行為は過去に封じた不快体験を一つ一つ味わっていくことに直結するというのだ。

実際にことの真偽を証明するのは大変むずしい話だが、わたし個人の体験からもこの理論は大いに賛同する。つまり身体がゆるみ、治癒力が働き始める前というのはその前兆として非常に重怠い気分に落ち込んだり、癇癪を起しやすくなったりなど、人によって表し方は様々だが今までの安定した自我が揺さぶられ、不安な感覚におそわれる。これは自分が体験してきたことだしクライエントの中にも同様の例を何度となく見てきた。

リラックス体操やヨガ教室などに定期的に通っている人の中には、「そんなことはありえない」と否定される方もいると思うが、それは意識の浅いところでゆっくりと安全に変革が行なわれているのだと推察する。いわゆる気分のリフレッシュとして、サッパリとした気持ちでおわれる気持ちの良いワークなのである。

特に大人数で「場」を作り、全体主義として行われる場合は上記のようなスタイルに収まりやすい。誤解のないように付け加えるがこのようなやり方が悪いとか不充分であるという話ではなく、独自の意義と有用性のあるとても良いものであることには変わりない。

これとは別に個人セラピーのような形式で個別の身体に深くコミットしていった場合に、先に述べたような不安現象は起こりやすい。この負の体験を上手に潜り抜けられると(たいていのクライエントはそうした能力を潜在させているが)、緊張をたえず作り出していた過去の自分の崩壊がはじまり、リキミみやコリから解放された新しい自分にスポットが当たるようになってくる。

多くの代替療法の治療プロセスというのは、こうした活動をいかに支えるか、というのが根幹でその方法や理論は無限にあると思っていいだろう。人によってゆるむための難度もかなりの差があり、概して難しい人ほど時間を要し、抜けた後の解放感も大きい。

その難しい工程を、先ほど紹介した成瀬氏は「自らによる自己変革」とまで表現しているが、これは決して大袈裟な表し方とはいえないだろう。それだけ変わる、治るという動きには心身のエネルギーを要するのだ。

さまざまなリラックス方法をくり返し試してもなかなか思うように成果があがらない、という人はもしかしたら他者の力を借りてもう一つ自己の内面に踏み込んでいく方法が有効なのかもしれない。これもタイミングが大切なのだが、機が熟し「その時」になると自ずからそういう出会いに至る行動を起こし、多くの人が非常に巧妙に治っていく。日頃からつくづく思うのは「人間」の心理も身体も実に精妙に構成されているものだということである。