身体感覚を取り戻す

このブログではおなじみの一冊。

2000年の発刊だからそろそろ文庫化しても良さそうなのだが、その気配もなく淡々と増版され続けている。

まぎれもなく斎藤孝さんの渾身の一冊と思う。何度読んでもしばらく間をあけてからページをめくると、守備範囲の広さとそれに相反する深掘りにいつも新鮮な風を感じる。

今回、目にとまったのは次の段落である。

腰肚文化を二十一世紀に再生していくためには、畳の上での坐のよさを再評価していくとともに、イスの生活において上虚下実の自然体の身体感覚を技にしていくことが求められる。坐ることが構えの基本であり、文化であり技であるということをからだを通して実感することが先決である。…

…二十一世紀の身体は、欧米風の生活様式に、腰肚文化に代表される伝統的な身体感覚をどう活かしていくかということが課題となる。天秤棒を担ぐような生活に戻るわけにはいかないのであるから、現実の生活様式の中で身体文化を再生していく発想が重要である。身体感覚が磨かれることによって、それに合わせて生活様式をアレンジしていく方向性は十分考えられる。腰肚文化を過去の生活様式と不可分のものとしてではなく、基本を抽出して現代の生活に合うようにアレンジしていくべきであろう。(斎藤孝著『身体感覚を取り戻す』NHKブックス p.224 太字は引用者)

以上のことは最近つねづね考えていたことである。

「昔はよかった」とか、「最近の若い人は」、という嘆きは時代の変化について行けない人の言葉である。

かといって現代の生活様式や都市型の身体が良いかと問われれば、悪くはないかもしれないが、決してすばらしいとは言えない。

まず人間に落ち着きがなくなった。思考も動作も止まっていられる人は皆無である。

当然「それぐらい別にいいではないか」、という人もあるだろうが、不登校や引きこもり、そして自殺率の高さを前にそんな日和見主義は許されないと思う。

そういう観点から振り返ると、私の修業した整体の道場ではとにかく講義のあいだ中、延々正坐をし続けた思い出がもっとも印象深い。

私にとって野口整体とは即ち正坐なのである。

そう考えたら野口整体はもはや準伝統芸能とでも言ったらいいだろうか、「坐り」ができなければ整体操法は行えないのである。

かといって整体指導を受けられる人たちの全てにそんな生活を強いるわけにはいかない。

指導の実際は現代日本社会の中にありながら、伝統的な身体文化の顕現を模索していく、というやや消極的な対応になっているのが現状である。

前掲書の著者は身体訓練のセミナーなどを幾例も開き、具体的に身体感覚を取り戻すための試みを実践されている。

さりとて身体文化を取り戻すための決定打があるという内容ではない。

野口先生の場合は「正坐をすれば万事よし」と唱導されたが、これも昭和のひとけた代の話であって、そのまま現代に適用できるものではないと思われる。

やはり著者と同様に我々も「考えなければ」いけないのだろう。

しかし先ずは事実を知ることが第一歩である。個人的には全ての日本国民に読んで欲しい良書である。