子どもの宇宙

太郎丸(息子3歳)の保育園放浪記が3園目でやっと相性の合うところに落ち着いた。

「保育園(幼稚園)に行かない」

「行こうと言うと泣いちゃう」

こういうことは世の中にたっくさんある話だけれども、子ども一人一人の中に別々の宇宙があるのだ。大人はその一人一人の世界を大切に守る義務がある。

サン=テグジュペリの『星の王子様』の冒頭には、みんな最初は子どもだったのに子供だったことを覚えている大人はいない、という一節があったと思う。

子どもの心がわからなくなるのは、それだけ大人の心と体が日々ストレスにさらされることで鈍ってしまいやすいから。

子どもの目の輝きをよく見てそれを守ること。そして抱き上げたときの重さをよく感じとることが大切だ。

身体がずっしりと重ければ、それだけ心がリラックスして充実していることがわかる。

大人が整体を保つのは、人類の未来を担う子どもの心に広がる宇宙を守るため、といってもいいだろう。

そういう風に「大切に」されて育った子どもたちが大人になり、そういう大人がまた子どもの世代を大切にしていく。

これを連綿とくり返せば、あらゆる文化的価値観や宗教の垣根を越えて、人間の世の中が少しづつ真の豊かさに近づいていくはずだ。

自分の力のおよぶ限り、整体の価値を世に伝え、遺したいと思う。

 

妊娠中から活元運動を行なってもよいか:できることなら妊娠前、出産を意識したらすぐにはじめよう

質問〕 子供ができたばかりの人に、活元運動を奨めたいのですが、反応が心配です。

 活元運動をやりますと、内部に異常のない時は流産する傾向が無くなってしまいます。流産しかけている人でも、活元運動をすると元へ還ります。

内で胎児が死んでいるような場合は、活元運動をすると、直ぐに流産します。一、二回やっていると、出てしまいます。

だから、内で死んでいるとか、母体がどうしても産むのに具合が悪いという状態以外は流産しません。

活元運度をすると却って楽に産める。流産した場合でも、簡単に終えます。何でもない時は体を丈夫にします。

 

近頃痛まずにお産をする方法として、活元運動をする人がとても多いです。

その誘導の方法は、仰向けにして、臍の上に手を当てて愉気をする。そうするとお腹の中が動き出してくる。動き出してくる人達は活元運動をしても大丈夫です。

手を当てると、動かないで逆に硬くなってしまう人もいます。そういう人を誘導すると、流産する場合があるのです。

予めそれ(臍に手を当てるということ)をやっておくといいと思います。(野口晴哉著『健康生活の原理ー活元運動のすすめー』全生社 pp.141-142 一部改行は引用者)

活元運動は身体を敏感にし弾力を持たせるための運動だから、出産に備えて行っておくことはとてもよい。

その上でいつから始めるかということだけども、まったく整体の素養のない人ならば妊娠中、特に安定期に入る前に行うのは注意がいる。

体が整っているということは身体の様々な機能が正常にはたらくということなので、丈夫な子ならきちっと月が満ちるまで待って生まれてくるし、何か異常があった場合は流れてしまう。

だから考えよう、見方によっては「リスク」があることを知っておく必要がある。

うちを例にとると2009年から仕事をしてきているが妊娠期から整体の個人指導、活元運動の指導をお引き受けしてこれといった問題が生じたということはない。

そもそも件数自体がそんなにないのもあるけれど、基本的に自分の技術は愉気をベースに行っているので、急激に大きな変動を起こすようなことがないのだろう。

しかしまあ「いい出産をする」「自分で産むんだ」と決心したら、妊娠を意識したと同時に整体指導、活元運動をはじめる方が絶対にいい。

折に触れて何度も書いてきているが、「整体」という概念を理解するのに早くて1年、それらしい身体になってくるのに3年くらいはみておきたい。

何でもそうだが、こと身体のことに関していえば付け焼刃でぽっとできるようなものは信用ならないと思っている。

世相全般に高齢出産が増えていることに加えて、都心ならば体の固い人、基礎体力のない人も多いだろう。

そういう人がまた分娩台のような体の自由の利かない環境で産むとなると、やはり備えあれば憂いなしだ。出産は「準備で9割決まる」と思ってもらいたい。

引用とは少しことなる意見だが、「時代性」を考慮に入れれば腑落ちするだろう。『健康生活の原理』自体が40年前に出版されたものなのだから。

整体出産・整体育児を志すなら半年、1年くらい前から活元運動をはじめるといいだろう。

野口整体と予防接種:子供を丈夫に育てる知恵

太郎丸がもうすぐ3歳だ。そんなわけで存在すら知らなかったのだが3歳児健診の案内状が来た。

たしか1歳児検診?かなんかの時だったと思うが、あっちからもこっちからも子供の悲痛な叫び声が聞こえて、「こりゃあなんのための集まりだ‥?」と妙に疲れて帰ってきたことを覚えている。

「身長を測ります」とかいって子供のかかとをギューギュー引っ張ったりするのがちょっと見るに堪えなかった。このくらいの時期なら大きいか小さいかくらい抱っこすればわかるじゃあないか。

人間はものではない。そういう当たり前のところをスルーして、呼吸もタイミングもなくガサガサやられるのはつらいのだ。健康診断で親子ともども不健康になるというアイロニー。

それと予防接種を打っていないのでかならず突っ込まれてしまう。

しかしまあ整体をやっていると年に1、2回くらいは「子供に予防接種を打っていいんでしょうか?」といったたぐいの質問をいただく。大事な子供のためなのだ。いくらでも情報は収集して、自分で考えて決断すべきである。

参考までに一つ書いておくと、どちらだったか忘れたが水野肇著『誰も書かなかった日本医師会』か『誰も書かなかった厚生省』という本のどっかにBCG(結核の予防を目的としたワクチン)についての記述があったと思う。

これによるとBCGの普及率の増加と結核の罹患率の減少については数字上なんの関連性もない、という調査結果が表されている。わかりやすくいうと「BCGを打ったら結核にかからない」という帰納的証拠は取れていないのである。

まあ「無関係」ではないかもしれないが、だからといって何がなんだかわからないものを盲信して体内に注入するという神経がわからない。

まるっきり効果がないならまだいいが、何かしら作用はしているんだろう?人間の身体というのは研究して解っているのはほんの一部、99%はブラックボックスなのだ。それでなくてもワクチン関連の被害報告は枚挙にいとまがない。

そうかといってノグチセイタイをちょっとかじった途端に薬も飲みません、病院の検査は一切受けません、という盲信から盲信への枝渡りも困ったものである。

整体という生き方はなにも「西洋医療と対立する」という位置で固定されたものではない。「自分のカラダで感じ、自分のアタマで考えて行動し、その結果に自分自身が全責任を負う」という態度なのだ。そもそも自立とか自由というのはそういうものじゃあないか。

自分の健康は自分で保つ。

こう聞くと耳触りの良さも手伝って「アライイワネエ」といわれるが、わるいけど整体はそんな甘っちょろいものではない。

つまり他覚的所見(客観)に頼らずに主観的身体感覚を規矩にして生きていくわけだから、その主観が狂ったら全てご破算なのである。

整体生活を志すならそういう基本的な思想理解からはじまって、身体がまあまあできてくるのに3~5年くらいはみる必要がある。取って付けたように整体やったって整体にはならない。生兵法はケガのもとで、いのちが掛かっていることを忘れてはならない。

くり返すが「自分の考えで行動して、その結果に全責任を負う」。自然界ならあたり前のことなんだが、人間の場合はこの大事なことを他人に丸投げしたまま生きている人が大勢いる。

いわゆる指示待ち人間、責任転嫁型の人間を脱却しないかぎり、自立した健康も、自由も独立もない。

ひとことでいえば、鍛錬。強くなるということである。

どんなことに出会っても息を乱さず生活できるようになるまで、粛々と鍛え抜くことである。そういう覚悟がないなら最初から整体なんぞやらないでいい。

予防接種から論点がずれてしまったが、医術というものはたとえその行為がどんな些細なことに見えても、自分の、あるいは肉親のいのちに関わる一大事であることを忘れないでもらいたい。

世相全般にもっと真剣になってもらいたい。もっともっと、生きること死ぬことを深く悩んでもらいたい、というのが正直な思いだ。憤の一字である。

生理痛は頭を休めて寝ること

このブログ内でも何度も書いてきた話だけど、最近来られている方々をみていて改めてパソコンによる女性の疲労度合は軽視できないと思った。

生理痛や生理不順にはじまり、妊娠中のつわりや腰痛などは、だいたい2日くらいパソコンを見ない生活するだけで何らかの好転が実感できる。

これは40年以上前の野口先生の文章にも見つかる話で、「キーパンチャーのような仕事は女性に向かない」といった内容が記されていた。おそらく、指の使い方、それから目の負担など、総合的に見た話なのだと思うのだ。

そうはいっても今時パソコンを使わない仕事を探す方が大変かもしれない。だからといって希望の持てないような視点かというと、その気にさえなればある程度はコントロールできるものだ。

可能な方はパソコンを使用する時間帯をシフトするだけで、なかなか良好な結果が得られることがわかった。簡単に言えば寝入りばなに画面を観ない、というそれだけでいい。

仕事なら仕方ないけれど、個別に訊いてみると用もないのに電車の中や夜中にネットサーフィンをしてる人は存外に多い。

やってみると一番は頭の働きが変わる。具体的には、出どころの判らない不安や怒りがまず消えていく。その人の住む世界が静かになるのだ。生理痛生理不順や妊娠前後のトラブルで病院や治療院にかかるなら、ますその前に1週間の早寝とデジタルデトックスを勧めたい。きっと何かしらの恩恵は得られると思う。

生き物を観る眼

赤ちゃんの観方で一番大切なのは、他から抱きとったときの重さの感じである。異常のおこる前は、その重さの感じがフワッと軽いし、充実してズシリとした感じのするときは調子がいいときである。これは物理できな目方の問題ではない。「留守にして帰って、まず子供を抱きとる。その瞬間の重さの感じで留守中どんなに扱われたか判る。また皮膚のつやと張り、眼の色と光とちから、便の量と色、及び掌心発現の状況などから、観る眼を養うことが大切である。そういう生き物を観る勘は、生き物に注意を集めて。興味をもって観ることによって育つ」と(野口)先生は言う(野口昭子著『子育ての記』全生社 p.7)

先月太郎丸をつれて一歳半検診に行ってきた。診るものと言えば、身長・体重、歯科検診、それから言葉がどれくらいわかるのか、である。「言葉の遅れ」がないかどうかを確認したいようだ。

それはいいとして、歯の検査の時に無理やり口をこじ開けられたみたいで太郎はかなりショックを受けてしまった。顔が小さくなってしまって、翌日は熱も出した。結局調子が正常に帰るのに三日はかかったのだった。

診察室に入っては泣き出す子供の集団を見ると、やっぱり人情的には憤懣やる方ない気持ちにはなる。申し訳ないのだが、こういうものが「人間」の健全な発育を点検するものとは到底思えない。ただし、それは極々少数派の主観的な価値観で、ふだん我々が職能的に使っているような「生き物を観る眼」の方が相当「異質」なのだということも知っているつもりだ。

簡単に言うと、「動いている物を動いているまま、全体性を観る」というのがこちらの仕事で、一般医療(科学)では「動いているものを一時的に止めて、部分的に測り」たいわけである。

もちろん、こういう風に部分的に専門性を高めることで解ることもあるのだ。それはそうなのだが、部分的になることで観えなくなることも沢山ある。そして我々はいつだって、その専門分化によって「見えなくなる」ものに用があるのだ。具体的には先に引用した、「皮膚のつやと張り、眼の色と光とちから」というものがそうだし、もっと端的に言えば「いのち」というものが「それ」である。

整体というのは発生当初から、近代医療の見地で「見落とされるもの」を相手に仕事をしてきたのだ。科学的な分析は生命活動から出てくる燃えカスを調べているだけで、「いのち」そのものを捉えることは絶対にできない。

だから「人間の健康生活を指導する」といったときには、やはり整体の独壇場というのが実状ではないかと思う。我田引水も甚だしいのだけど、本当のところそうだとしか思えないのだからしょうがない。縁のあった人たちと向き合って、一人一人、直にこの価値を伝えていくより他ない。多勢に無勢なのだが、それは職業としての存在意義とセットなので複雑な気分だ。

安産しやすい妊婦さんの服装

妊娠期に着る服の注意点を聞かれたので、自分なりに気づいた注意点を少し書いておきます。

まずゴムのような圧迫感のある服は極力排除しましょう。きつくてもゆるくても、いずれも外からの圧はない方がよいです。よく伸縮性の腹巻のようなものを付けている方がいますが、外から支えつづけると全般に身体がたるみやすくなるのでおすすめしません。

腰痛の方が骨盤ベルトを勧められることもあるようですが、これもお尻がたるんだり、人によっては恥骨が痛んだりします。

それから足元ですね。妊娠期はいつも以上に、「冷える」ということの注意が必要です。それも気を付けなければならないのは「足首」です。夏場に素足にサンダルで電車に乗ったりすると、思った以上に冷房で足を冷やします。足を冷やさない工夫をしましょう。

また、かかとの高い靴やサンダルを履きますと、膝、腰に負担がかかります。また足を挫いたりしますと、骨盤に影響が行きやすいので、妊娠期は靴底の平らなものを努めて履くと良いですね。

ですから、まとめると・・

・身体を締めたり圧迫するもはできるだけ着ない

・冷えに注意する(特に膝から下、足首やくるぶし)

・靴は平ぺったいものを履く

このへんを守っていただければ、まずまずじゃないでしょうか。

あんまりおっかなびっくりにならなくても大丈夫ですけどね。妊娠中は細かいことを「気にしすぎない」でぽんわり生活することも大切です。ただ「着衣の問題が気になる」という方は、一応の参考にしてみてくださいね。

逆子体操では直らない逆子

昨年の今頃、「逆子体操を毎日やっている」という方をみていた。「28週から毎日、いくらやっても直らなくて・・」と悩んでいらしたのでその場で実演していただくと、大変キツそうだった。

「逆子体操はあなたの身体には合いませんから」、といって初回の時に止めていただいたのをよく覚えている。それよりも不安で腰が縮こまっているようだったので、カウンセリングでストレスの原因を伺っているうちにだいぶ腰の形が正常に戻ったのだ。2回目にお見えになったときにはもう表情が明るくなっていたので、言わずもがなの結果であった。逆子体操を止めた直後の7日の間に戻ったのだ。

誤解のないように言っておくと、「逆子体操」が悪いという話ではない。どんな刺激であっても、「その時のその身体に、合う、合わない」という診断が正確につかななければ、闇鉄砲と一緒で当るかもしれないし当らないかもしれない。先のケースではむしろ弊害であったのだ。整体は命に触れる御業である。厳しいようだがこういう「やってみなければわからない」ようなものを技術と見做す訳にはいかない。

何事も原因が解らなければ対処のしようがないのだ。だから整体はいつ如何なる時も「原因を観る」ということに集中する。自身で探求するなら、一つの目安はやはり「快・不快」の感覚だろう。身体に合うものは快く、合わないものは不快に感じる。「他はこれ吾にあらず」という言葉の示す通り、この快・不快は自分にしか判らない。野口整体が身体感覚の保持、向上を説くのはそのためなのだ。

今回は体操だったからこの程度だが、運動にしろ、食事にしろ、薬にしろ、自身に合う合わないかを判らないで生きているということは危なっかしい。産まれた当初はみんな100%の「感覚」が働いているのに、成長するにつれて大なり小なりそれがくもってくる。原初的な身体感覚が「良い意味でむきだしになる」ということが、整体指導の目的の一つだ。野口整体を「野生の哲学」と説いた例もあるが、言い得て妙である。

実のところ、逆子になってからで訓練するのではちょっと遅いのだ。だが「気づかないでいる」よりはずっといい。逆子が直る、直らないという事よりも、それを機会に自分自身の感覚に目を向ける人になることが観ていて一番嬉しい。自分を守るのは自身の身体感覚である。しかもこれから備えるのではなく、今あるものを最大限に使うのだからなお良いのだ。自分自身が、自分自身を、自分自身で救うのだから、これが一番間違いがないではないか。人間がいるかぎりこういう学びには用があるし、誰かが説き続ける必要がある。養生とは自然を知り、その自然を人体上に現すことなのだ。

逆子体操

 

離乳食に偏食はない:子供の「食べない」には理由がある

今春から太郎丸は保育園だ。事前に下見に何回か行ってるけど、やっぱり泣かない。人見知りしないのだ。幼児が知らない人をみて泣くのは、かつて「初めて会った人」でこわい思いをしたからである。

具体的には、まず産湯とか。これが熱すぎると、やっぱりこわいと感じる。だけど生まれたばかりの子は「熱い!」とは思わないで、「!っ・・」と思う。次に「これはとんでもない世界に来た」とそう思う。そうするとまず初めて触れるものに対する「警戒」が生まれるのだ。

それから「病気の予防」だといっていきなり注射を打つ。これも当人には理由がわからないから、「ビョウインはイタイ!」という連想が固着する。そうやって「事実」に触れる前の観念の方が身体につよく影響するようになってくる。「と、思い込んだ」ことは身体上に実現するのである。

それはそうと保育園のアンケートに「特に好きな食べ物」と「嫌いな食べ物」の欄があって、固まってしまった。好きなものは「その時食べる物」と書きたいところだが、それじゃあ困るのだろうし‥。でも実際はそうなのだ。

ところが大人は過去に体験したことを「そうだと決め込んで」与えるから、「はい、○○ちゃんの好きな、好きな○○よ」といって、例えばトマトを出したりする。ところが食べない。

それはこの前食べた時はおいしかったというだけの話で、今日はまた別問題である。別に「キライ」ではないのだけど、「キライになったのか」と考えたりする。こうやってるうちに大人の方がいろいろと複雑に考えるようになる。

そもそも、そうやっている大人の方は自由に食べられるはずなのに、案外自分で自分を縛っていたりする。「わたしはコレが好き」と思い込んでいると、いま腹が減ってなくても出てくるとつい食べてしまう。タイミングも量もお構いなしにそうやってしまう。そうやって「うまいか、まずいか」もわからない大人が、純粋な感覚をたよりに生きている赤ちゃんに食べさせるのだから無理がある。

ともかく子供に「偏食」はない。

いつだってからだの要求に寸分くるわず食べている。

砂糖でも塩でも、そのときからだに用があるもの(合うもの)はうまいし、からだに合わなければうまくない。身体が疲れれば甘いものが食べたくなるし、頭が疲れれば辛いものが食べたくなる。

そういうふうに感覚(この場合は味覚)は偏らない。偏るのは身体に良いとか悪いとか過去に覚え込んだ「観念」の方で、その偏った観念と並べて比較するから、「今の味覚」という正確な指標の方が歪んでいるように錯覚してしまう。

また食べないとしたら、その食べない原因には味とか量だけじゃなく、あげる速度とか、スプーンの色・形・温度とか、またその口に持っていく角度とか、あるいは天候、お母さんのキゲンの良し悪し、声のトーン、昨日の運動量などなど、いろんなものが複雑に作用して、赤ちゃんの胃袋というのは動くのである。

だから「なぜ食べないのか」を感じとる力がないうちは、前の「食べた、食べなかった」という記憶の方に踊らされるより他はない。そういうわけで子供の偏食に悩む前に、大人の感受性を見直す方が正解なのである。

身体感覚を鈍らせていては育児はできない。いや育児にかぎった話ではないが、感覚こそが真実なのである。その働きを保つために体を整えるべきなのだ。ここに至って食育以前の体育の必要性を改めて世に問いたい次第である。

妊娠中の恥骨痛の原因

先月はじめて来られた妊婦さんが「恥骨がすごく痛い」という。「すごく痛い」は稀かもしれないが、妊娠期に恥骨に違和感を感じる方はだいたい1~2割位いる。妊娠期はリラキシンというホルモンの影響で恥骨(骨盤)だけでなく全身の関節、靭帯が柔らかくなっているので普段ではあまり見ないような故障も起こしやすいのだ。

野口整体ではこの妊娠期の「弾力と波」を上手く使って、妊娠・出産によりいろいろな持病を治したり、さらに出産前よりも丈夫にすべしと考える。小さい刺激でも大きく身体が変化するのが利点で、いつもよりもずっと負担を少なくやれるのだ。一般的には出産前後になると肩がこったり、腰痛になったり、問題事が増えるのだが、それはこの骨格の柔らかい時期にいろいろと間違った身体の使い方をしているからだ。

ただ「恥骨が痛い」という方に関しては、身体の様子を見る前に「着衣による骨盤の締め付け具合」を確認する。妊娠初期にはまだ細いジーンズをはいている人もいるし、お腹が一定大きくなってもきつい下着をつけている人がざらだ。これらのものはみんな骨盤の両側から「微弱な圧」をかけていることになる。ごくごく小さい力だが身体は常にその力に抵抗を強いられるので、特に妊娠期はこの小さな刺激が無視できない。

見ていると何故かはわからないが、頭が合理的によく働く人ほどきピチッとした服を好む。妊娠が解ったら出来るだけ早い段階で、たっぷりした感触のやさしいものを身に付けることを勧める。整体を受ける際に着替えをしていただくが、着替えただけで恥骨痛が消えている人がいる。こういうのが盲点だ。

さて、件の方は骨盤ベルトをしていた。お聞きすると1ヶ月ほど前からかなりきつく巻いていたので、恥骨を痛めたらしい。因みに骨盤ベルトで外から仙腸関節を補助したことで、かえって身体が怠けてしまった例を見たことがある。産後の肥立ちで苦労されていた。身体の適応能力をなめてはいけない。身体は守る暇があったら使うことだ。散歩をしたり、相撲の腰割りをやって、体力をつけて「その時」に備えて欲しい。

逆子は何週までなら直るのか

一般的に逆子はだいたい28週~30週以降で胎児の頭が上になっている状態を指すようです。それ以前のものはまだ胎児が動いているうちの一過程と見ます。まだこの位の時期ですと病院・助産院でも「まだ大丈夫、戻りますから」と言われることが多いようです。

確かに逆子のまま出産を迎える割合は3~5%位とされていますから、「ほとんどの妊婦さんが直る」と思っていても間違いはないでしょう。出産の割合が最も多い週が40週ですから、仮に30週で逆子だとしてもまだ10週間(2ヶ月半)ある訳ですね。

せい氣院に逆子で相談に来られる方の多くはだいたい33週、34週以降です(逆子体験談)。何故なら多くの病院や助産院で「35週目の検診で逆子が直らなかったら帝王切開の日程を決めましょうね」と言われるからです。それであわてて来院されるのですが、30週の時点から比べれば当然逆子が直る率は少しだけ減ります。もちろん身体をよくみて、原因さえ解決できればまだ充分に対処できます。

ですが、逆子の対応は早いに越したことはないのです。

本音を言えば逆子になる前から身体を整えておいた方が良いですし、さらに言うと受胎がわかったならすぐに「楽に産める身体」を作っていく方がずっと良いですよね。整体でお腹の中から丁寧に観てきた赤ちゃんはみんな丈夫ですし、生まれた後の美容的な観点からもはっきりそう言えます。特に30週からの1ヶ月は本当に大切。

なのに、この大切な期間にまったく何もしないのは「もったいない!」と、いつも思います。

逆子には、逆子になるようなお母さんの「身体」があり、赤ちゃんの「気持ち」があり、また逆子になるような「生活」があります。そしてこれらの「原因」には共通点があります。

それは、みんな病院の検査には写らないもの、ということです。

人が人を観て、触れて、よくお話を聞くことではじめて見えてくるものばかりです。ただお医者さんが「大丈夫ですよ」といってもそこには確率以外の根拠はありません。いつも言いますが何ごとも「原因がわからなければ対処のしようがない」のです。野口整体が「観察」という技術を重要視するのはそのためです。

ですから「逆子は何週まで直るか」と考えるのはちょっと変ですね。ただ待っているだけでは「直るかもしれないし、直らないかもしれない」。それはただの偶発性ということ。それよりも「なぜそうなったのか」をよく考えて行動することで直る必然性がぐっ!と増すのです。もし原因がわかれば自分でも対処できることが沢山ありますから。ですがもし逆子のケアの仕方がまったくわからないという方はこちらも参考にしてみてください。(自分でできる逆子ケア

逆子は「あとどれだけ日数があるか」心配するのではなく、「どのように行動するか」の方がずっと大切だということです。ここの所をよく間違えやすいので、いま逆子で不安になっているお母さんは少し気を付けて原因を考えてみてください。