身体がユルむと・・・

整体に限ったことではなく、現代型ボディワークは「いかにユルむか」という方向でほぼ一致している。実際のところこれさえ出来れば身体上のトラブルはすべて解決なのだ。

ひと口に「ゆるむ、ゆるむ・・」といってもこれが人によっては容易ではない。意外なことにユルむための体操やストレッチ、ヨガなどで筋を傷めたりケガをする方もいるので、無意識的に硬直した体を意識的に(頑張って)ゆるめようとしても中々そうならないことがわかるのだ。

そもそもなぜ身体が凝固するのかと言えば、日常の中で怒ったり、悲しんだり、悔しかったり、という突発的な情動を抑え込んだことに起因する。

情動に従がって、泣いたり笑ったりしてしまえば、その感情は身体的動作のためのエネルギーとなって解消するが、出しそこなった感情は「コリ」という形になって居座りつづける(これを個人的に「感情エネルギー保存の法則」と呼んでいる)。

一般的には出しそこなった感情エネルギーはしばらくすると「消えた」と思われているけれども、本当はそんなことはなくて、何日も、何ヶ月も、時に何年間でもそれは身体の中に居つづける。

居つづけるだけでなく、身心両面に絶えず作用している。顕在意識上にはのぼらない(そういう感情「感」はない)けれども、「何故かやる気が出ない」とか「何となく楽しくない」とか、「身体的に疲れやすくなる」とか、全般に活力を奪う方向へ作用する。「うつ」などがその代表格だが、人生の長いスパンで見ればそうとう自分をロスさせるものなのだ。

ではどうすれば消えるのか、というとまず最初に「気づく」ということから始まる。というか気づけばもうそれで消えてしまうのだけど。それには「思考」を鎮めることが必須であり、また感情は主に他者との間で確認されることが多い。だから静かな環境で人と「対話する」ということが実は大変有効だし、カウンセリングという仕事はこの性質に依拠している。

その他は、とにかく生理的な「快」を追及することも大切だ。気の済むように、気の向くように、気のままに行動していくことが良い。こう動けば気持ちがいいとか、こうすれば気分がいいということを率先して行っていく。そういう時には身体はするするとユルんでいくものだ。

寝相というのが象徴的だが「無意識」は今どう動けばいいのかを知っている。だから本来はむずかしいことはないのだけど、好きなように動けばいいといわれるとこれが中々やりずらかったりするのだ。

「活元運動をやりましょう」といっても得体が知れない面もあって、すんなりとは「入り」にくい。だからとにかく対話は大切だ。相手と「良質のつながり」を形成したうえで、こちらが先にユルんでしまうと後がラクなのだが。愉気の本質もこの辺りにあるのだと思う。

とにかくどんな問題事に直面しても取り組むのは「自分の身体」、コレだけでいい。ゆるむかゆるまないか、それは絶えざる自身の緊張に気づくか気づかないか、という話で全感覚を内側に向けることが全てだ。感受性を高度にすることによってのみ人生の可能性は拓かれる。

兎に角やってみるとわかる。身体は何もしなければ何も始まらないけれども、積極的に開拓していこうと思えばそれだけで一生楽しめる。この楽しみに気づいた人は幸せだと思うのだ。整体的偏見かもしれないけど。

IMG_3016