行雲流水

自律神経失調症の相談を定期的に受けるのだが、これについてはいつも投薬医療の限界をまざまざと感じる。そもそも医学的には明確な定義はないらしく、根本的な治療法もないのだそうな。

整体的な観点から言えば、気が上がっているだけだからこれを下げれば落ち着く。気と言ってわかりにくければ気分の浮沈でもいい。どちらもレントゲンに映らないものだが、これ系の疾患は整体の独壇場である。

気が上がった状態というのは、呼吸が浅く脈は早い。昔の生活様式なら木造の家屋で座って飯を食い、畳の上で眠ることで落ち着けたのだが、今は一旦気が上がってしまうと何日経ってもそのままである。やがては病気にもなるのだがそれは気を下げる働きであって、畢竟病むから治るのだ。

気の上がり下がりに因んでいえば、臨済宗中興の祖と言われる白隠という坊さんが坐禅修行で身体を壊した話が残っている。この時に行ったイメージ療法が内観法とか軟酥の法といわれるもので、端的に言うと呼吸と意念操作で気を下げるのだ。後々には剣術家などにも愛好された方法で、その歴史が効果の高さを保障している。昔のものだからといって侮れない。

整体で求める姿もお腹の下や足の裏まで気と重心が落ち切ることである。正坐で事は足りるのだが活元運動で偏り疲労を正してから坐った方がより有効だ。端的に言うなら徹底坐り切ったらもう「そこ」で決定(けつじょう)する。だから治療では遅い。只管打座でもズレる。自然にただ有ればいい。自然に。