自然体

FNS27時間テレビとかあったんですね。^^;テレビを撤去してからすっかりテレビネタによわくなってしまった。

こんばんは、あさひなです

今日は「自然体」のこと書こうかな、と思います。

ご存知の方も多いかもしれませんが野口整体では整体をするという、何か技術的なことを行うのではなくて、「整体である」または「整体になる」ということを目的としています。

整体とは整っている体の状態を指しますけど、言い方をかえると「自然体」という状態ではないかと思います。

ではその自然ってなんですか?っていうとちょっとウィキペディアで調べたら「自然とは、万物が現在あるがままに存在しているものであり、因果によって生じたのではないとする無因論のこと。」って書いてありました。(ちょっとむずかしい?・・・^^;ほぁ?)

これを僕が学んできた整体の言葉を借りて説明すると、心とかエネルギーの交流が人や外界と自由(フリー)に行われている状態が「自然」だと思います。

たとえば今ホットな、エネルギー問題でいうと古来からある水車小屋とか風車っていうのは外界に向けてその器械性が開かれているので「自然」って気がします。で、原発は何層にも壁で囲って外界から隔絶・封じ込めてあるので、あまり自然ではない気がします。(今回はその是非を問う話ではありませんよ^^念のため・・)

人間の身体で言うと、身体的に他者に無理なく触れられたり、心の交流が自在にある状態が「自然」であり「整体」であると思います。

平たく言うとコミュニケーションがしやすい身体、人の話を聴ける状態です。相手の考えや意思を良く聴いて受け取れるような弾力のある身心の在り方が「自然体」です。

これを齋藤孝さんは『身体感覚を取り戻す』の中で「積極的受動性」という言葉で表現されています。整体というのは内面的にも、また外界・他者に向かっても心が開かれているので相手をより積極的に受け入れられるようになっています。

この状態になると「ひきこもり」とかになろうとしてもそう簡単にはなれないですし、不自然な自己完結型の消滅(自殺)とかもできない。

今は自殺者を減らすために国でも人の心のケアなんかがいろいろとこうじられていますけど、これはとてもすばらしいことですよね。そしてこれをもっと心の問題から肉体的な問題として見方を変えて、そういうアプローチ法が増えてくると、より対策も効果的になってくると思っています。

「だからもっと野口整体をやりましょう!」というと我田引水すぎますけど、でも言いたいことはだいだいこれなんですよね(笑)^^;

愉気法も活元運動も集約すると人間の「体を開く、心を拓く」ためのメソードといってもいいと思います。個人指導というのはそれを個人用にオーダーメイドしてぎゅっと濃縮したもの。

そして指導をくり返して整った気を、活元という不特定多数、集団の中で円滑に流していくことでまた外界とか他者とのつながりを増やしていく。

僕の場合は今こういう感覚で野口整体に向き合っています。

人間、孤立した状態というのは自然ではないです。(自立は前提として必要ですけどね・・。^^)自然体は孤立から開放され、仲間を増やします。そんなこんなで個人指導を受けている人はときどき活元会にもきてくださいねー。

今月の活元会は25日13時30分からです。