愉気について

ここ数日ラーメンがおいしくてあっちこっちの店に行っっている。普段は玄米と味噌汁を食べないと食事を摂った気がしないような質なのに、最近は汗をよくかいているので無意識に食べてるんだと思う。

家系もジロ系も鶏がら醤油も魚介系もいろいろ食べてるけどやっぱり麺類はおいしいね。僕は子供のときはそーとー偏食で夏はスイカとラーメンばっかり食べていた気がする。

あとビールが好きだったらしいその反動か今は食事にも気を使っているし酒もめったに飲まない。

さて、気の教室では愉気についていろいろな質問を受けますけど、個人整体の時はあれやこれや聞かれることはあまりないナ。

整体は集中して手を当ててますから、終わってからさらにあえて言葉にする必要はないみたい。受けた感覚がそのまま答え、ということなのかも。

しばらく指導に通われている方は、何かきっかけがあるとお友達や家族に手を当てをしたりして私でも愉気をしてあげたらよくなりました、とか話してくれます。

磁石に付いた鉄が磁気を帯びるように、愉気という世界に出入りをしだすと、人間を癒したり守っている気の感覚が太くなってきます。

受けている人は知らない間にそういう感覚が育って愉気ができるようになってくる。

手当て、手かざし、というのは古来からの手法で時代性はあるけど、定期的にテイストを変えてリバイバル版が出てくるのだ。

いわゆる「能力」なので習得するにはお金がかかると思っている人もいるけど、それは水や太陽に値段を付けるようなもので僕は違和感を覚える。

天から授かった命に値段が付かないのと一緒でこれはプライスレスの力、大自然の恵みの力だ。

確かに能力と言えば能力なのだけど、しいていえばそれを集中力というとしっくりくるかな。

愉気の質、というか効果は、瞬間的に、そこに自分の全部を集められるかどうか、という一点で決まる気がする。

だから長くやったからできると言うものでもないし、今日はじめてやった人でもぴたっときまればそういう効果を示す。

人間の可能性という点では面白い世界だし、これからの人類には「気」という感覚をもっと生活に盛り込んでいくことで物事の価値観も、もう少し普遍性のあるところにきちっと収まっていくんじゃなかろうか。

気の教室 はせい気院の野口整体に賛同される方が、そういう価値観を学べるような場にしたいな。あせらず、たやさず、続けていくことがなによりだ。

そういう訳で8月の気の教室は20日(月)13:30~です。