太極拳の思い出

20代に太極拳の教室には2度ほど通った。2つ目に行ったところの先生が大変個性的な方だったこともあり、一時期興味をもって通った。

途中でやめてしまったけれども、基本功と呼ばれる基礎訓練はいまの仕事にも役立っている。特に放鬆(ファンソン)という身体中が液体のようにゆるゆるなリラックスの概念は、スポーツ空手で固める事ばかりをやっていた自分にとっては革命的に見えたものである。

俗に「東洋的身体」などというとアジア人が全部一纏めに扱われがちだが、「歌舞伎」と「京劇」があれだけちがうように、とりわけ日本は東洋の中でも独特の身体性を発達させたと考えられる。太極拳の先生は「アジアで身体が固いのは日本ぐらいだ」とおっしゃっていた。「ムエタイもテコンドーも、みんな柔らかいだろ?」と。ただこれは純粋の日本的身体ではなく、伝統的な身体が近代教育によって毒された結果の固さであろうと思う。特にスポーツ空手の型は腰を意識的に反らせて固める傾向に流れがちでなので、上半身と下半身の連絡性が極端に制限されるのだ。

太極拳の場合は仙骨を重力に任せたままである。日本語でいう「腰を落とす」ということは、「膝を曲げる」のとは別次元の感覚で、腰の中心寄りの筋肉(大腰筋等)が最大限にリラックスしていることを意味する。

今さら何でこんな話かと言うと、最近指導の現場で「どうすれば良い姿勢をとれるのか?」ということを個人個人、徹底考え抜くようになったのだ。そこでふと「はて?自分はどうやってるんだっけ?」と省みたら、ルーツは空手と太極拳にあったことに気づいた。将来的には「歩き方」、「坐り方」などを自身の体験からまとめられれるといいのだが。

自分として「これならまちがいない」という身体は未だに定まっていない。もしかしたらこれはずっとこのままかもしれない。

体の探求は今日まで続いている。