インフルエンザに関する一考察

野口整体には『風邪の効用』という名著がある。実際にこの一冊から整体に関心を持たれたという方は多い。著者の「風邪が体の掃除になり、安全弁としてのはたらきをもっている」という見解は、実際にそういう角度から自身の身体を見て風邪を数回経過することで、だんだんと自身に肯えるようになる話だ。知識が確信に昇華するまでには一定の年月を要するが、整体(活元運動)を専一にやっていけばやがてはそこに落ち切る。

ただ、仕事をしていると「インフルエンザのワクチンは打っていいんですか?」という質問を年に2、3回はいただく。現代に至ってインフルエンザワクチンが効く、効かないという論争は枚挙にいとまがない。病気は悪いものとしか聞いていなければ、「予防接種は打った方がいいに決まっている」となるのだが、もう一方で「病気は身体の自然良能(病症そのものが身心のバランス作用)である」という見方を知ると、迷いが生じるのも判らないでもない。

ワクチンの是非ということで言えば、実際は効果が無いばかりかワクチンを打った人の方がかえって罹患しているという話もある。これはうわさレベルの情報だが、自分の経験ではタミフルを飲んで「治した」人が、間を空けずにまたインフルエンザに罹った例を見たことがある。身体が固いとそうなり易い。

生きた身体を観ている立場から言えば、風邪でもインフルエンザでも、「自然に」経過した身体はうしろ姿がやわらかい。一方、薬で経過を中断させたものはそういう有機的な「流れ」がないのだ。バツン!と打ち切られたような感じだから、症状と一緒に身体から美が失せる。プロセスを無視して結果だけを求めると、造り事のような身体になってくるのだ。例えはよくないけれども、生け花と造花のような違いといったら判り易いだろうか。

結論を言えばインフルエンザでも風邪でも身体に弾力があれば罹らない。生きた身体は偏り疲労があると身心のバランス回復機能が働き、あらゆるものの力を借りて「生命の全体性」を回復しようとする。病気はそのもっとも手近な秩序回復機能なのだ。

だから最初のような質問をされるという事は、事の真偽以前に生命に対する態度が露呈する。西洋医療は信用できない、では東洋医学だ、いや代替医療だと、色々な知識に踊らされている人は、自分の「息」に気がつかない。騒がしい意識の運転を停め、身体の感覚が良い意味でむき出しになることで初めて命の力に「信」が生ずる。仏道には「妙法一乗」という教えがあるが、「一つ」に乗り切れないものはいつも危うい。自身の命以外に一体どんな乗り物があるのか、あれば聞いてみたいと思う。

一乗