途中にあって家舎を離れず

野口整体を志して11年ほど経った。

今の立ち位置から鑑みると意外と短いなと思う。

言い換えると11年でここまで来たのか(意外に早いな)、という感覚なのだがその間に整体法の理解度や捉え方、価値観などは変わりに変わった。

ずーっと長く整体指導を受けに来られている方もいるけれども、自分の変節にともって疎遠になる方も一定数おられた。

何となく申し訳ないような気持ちもある一方で、お互いのとっての役割が一時的に終ったのだと思ったらそれはそれで肯定的な見方もできる。

とくにクライエントさんの力を信じて待てるようになった時期は断層が大きい。人間というのは生きているかぎり治りつづけ、死なないかぎり成長しつづける。

これを意識の深いところで感得できたので、こちらとしては氣を鎮めて「待つ」ことに徹するようになった。

もちろんこの程度はたいした話ではないのだが、いってみれば長いことくっ付いていた目隠しが外れたような驚きなのである。これでやっと常人、というか‥掛け違えた最初のボタンに気づいたようなものだ。

そもそもが整体指導というのは字面からいっても支持的な雰囲気が漂う。つまり指導者の方から「あなたはもっとこうしたらいい」ということを、直接的に示唆するように思われるが、実際は非・支持的な面が強い。

相手の「治る」にゆだねてこちらはひたすら沈黙を保つ。それには精神的な力が必要なので相応の修養は求められるけれども、結果として豊かな関係性が構築される。

口で言うのは簡単だが高い精度と成果を求めるとなると、なかなかディープな世界に足を踏み入れたなと思う。以前にもまして力不足を感じるし、「修養」って言ったって具体的に何をどうしたらいいのか全部自分で考えなければならない。

それが醍醐味なのだが、自分のためにもクライエントさんのためにも一日でも早く、もっと力を付けたいなと思う。そこにはただ精進があるのみ。